訃報

 朝のニュースでその訃報を知ったが、岡山県版だけでなく全国版でも何度も放送されていたから、その功績が大きかったことが分かる。ノートルダム清心学園の理事長、ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者として紹介されているが、そうした肩書きによる紹介が一番正しいのかと疑問に思った。  こうしてみると僕が会ったことがある人の中で一番有名な方かもしれない。玉野教会の何十周年記念か忘れたが、その記念すべきミサに出席していただ時に、ほんの少しだけ会話を交わした。当時僕の漢方薬を飲んでいる女性がシスター渡辺の本を読んで救われたと言っていたことを伝えたのだ。それまでもテレビなどでは見ることが何度かあったが、目の前にしたらとても小柄な人だった。職業的に骨粗しょう症をすぐに疑った。シスター渡辺は、僕の話を喜んでくれ、何か伝言をことづかった。具体的な内容は忘れたが、その女性が回復したことを喜んでくれた。  知る人ぞ知るだが、シスター渡辺は9歳の時に軍事クーデター「二・二六事件」で、陸軍教育総監だった父・錠太郎が凶弾に倒れた現場に居合わせ、無数の銃弾を浴びた父の最期を見届けた。その原体験が後のシスター渡辺の道を決めたみたいだが、ここまで強烈な事件でもないと、ああした生き方は出来ないのだろうか。一隅を照らすつもりでも千隅を照らしてしまうにはあれだけの原体験を求められるのだろうか。  今年は多くの志ある人をなくした年だったが、最後の最後で又1人大きな存在を失った。川岸が水の流れで少しずつ崩れていっているように見える。それに危機感を持って立ち向かわないとやがて濁流が家々を流し命を奪う。シスター渡辺と呼ぶべき人を理事長とか著者としてしか紹介できないようでは護岸工事は任せられない。止むに止まれぬ肩書きもシスターと呼んだ時点で昇華する。僕らはそちらの位置に立つ。