耳を疑う。大都会の父兄の会に出席しているのかと勘違いしそうだ。  今日は牛窓東小学校の保健委員会に出席した。会議の前半は夏休みのプールの使用に関しての話で、僕には関係ない話だった。遠い昔の話のようにまるで無関心にその場所にいて、話し合いが終わるのを待っていた。耳に入ってくる内容に特別興味はなかったのだけれど、何故か違和感があった。夏休みのプールを地区に開放して自由に泳げる日が少ないのだ。監視の父兄が4人そろわなくては使用の許可が下りないらしいのだが、そもそもプールを使用出来るのは7月一杯だけだ。僕らの時代には8月31日までは必ず海で泳いでいたから、8月に入ってからどうするのだろうと気になった。  そこでおもむろに居合わせた父兄にそのことを尋ねてみた。プールをもっと使わせて欲しいとお願いするより、海で泳いだらどうかと尋ねたのだ。牛窓の地形上、海岸線に住んでいる子供はかなりいるはずだし、海水浴場だったら、4人も監視に父兄がついていく必要が無い。さすがに僕らの時代のように子供だけで海で泳ぐと言うのはないかもしれないが、泳ぐことが出来る大人が1人いれば十分だ。すると母親から「ここは東京か?」と言うような子供達が海で泳がない理由を聞いた。「海水はべたべたして気持ち悪いって言うんです」「海の水は汚いって言うんです」命の源である海のことをよくそんな言い方が出来るなと唖然とした。同じような表現を報道番組の中で聞いたことがある。都会の人間が言うのならまだ分かるが、身近に海がありその恩恵を受けている人達が言うのは情けない。「そんなこと聞きたくなかった。今日出席するのではなかった」と言うと出席者は大きな声で笑っていたが、僕としてはまんざら冗談ではなかったのだ。  あるお母さんが「海の水がにごっているでしょう。だから嫌がるんです」と教えてくれたが、僕はすぐに答えた。「都会の空気はもっとにごっているよ」と。連日伝えられるニュースは、そのことを象徴している。地球上の命を育む海が、こともあろうに地元の人間に、とても軽くあしらわれることに僕ら海の子達は心を傷める。