その女性を仮にTと呼ぶ。Tは風を受け何度も「気持ちいい!」と繰り返した。梅雨の間に久しぶりに強い太陽が当たって暑かったのもあるだろうが、それだけではないように思えた。さわやかな風は心にも吹いてくれていたのだと思う。  5月の連休中に丸亀城を訪れたときの風はこんなものではなかった。風上に顔を向けているのが辛いくらいだった。丸亀城天守閣はかなり高いところにあるから、風で体を持っていかれることもあった。案の定瀬戸大橋が通行止めになりとんだとばっちりを受けたのだが、昨日の風は彼女が言うように気持ちの良い吹き様だった。  介護職員として来日したのだが、あの仕事で体を壊して離職している人はとても多い。日本人が離職する大きな理由だ。かの国の女性達が特別健康であることはない。お金を稼ぐために決意して来日しているが、それと体が強いと言うことにはなんら関係はない。日本人と同じように体を傷め、毎日何とか修復しながら働いているのだ。だから昨日みたいに名所を訪ね、和太鼓のような日本文化に触れてもらうと、心が安らぐのだ。そして心の中まで心地よい風が吹いたのだ。  車の中で初めて知ったのだが、彼女達3人は、かの国では看護師だったのだ。法律の壁があり日本で看護師で働くことが出来ないから、やむを得ず介護士を目指して働いているのだ。どうりで他の女性達に比べて日本語の能力も高く、人と接するのが旨いと思った。通訳としてきている女性と同等の会話力もあり、機知に富んだ会話も出来る。そして何よりも健全な好奇心がある。お金だけが目的で来ている人はこの好奇心がない。  3人のうちの1人が、股関節と背中を痛めている。日本人が嫌がる時間帯を受け持って、何処までモチベーションが維持できるか陰ながら心配している。難しいかも知れないが日本の看護師の試験に挑戦して欲しいとエールを送ったが、漢字がない国からの人たちにとってはあまりにも高い壁があることも知っている。  僕に風を起こすことは出来ない。ただ、風に当たりたいときに、風が吹くところに連れて行くことは出来る。さわやかな風を心の中に届けることも出来る。丸亀の町並みを見下ろす後姿に幸あれと祈る。