重石

 寮を訪ねると、いつも親しげに迎えてくれ、ずっとそばにいて、通訳までこなしてくれた女性Rが帰国して、僕はいったい誰に向かって話せばいいのだろうと懸念していたが、面白い現象が起こった。もちろん専門の通訳がいるから、必要なときはお願いすればいいのだが、彼女の手をしばしば煩わせるのは忍びないから、なるべく自力で意思疎通をしようと決めていた。だから以前より少しだけ重い気持ちで玄関を開けたが、それは杞憂だった。  いつもソファーに腰掛けるとそばにRが陣取る。そして数人のかの国の女性達が正面のソファーに腰掛け、多いときはソファーの後ろに数人が立つ。杞憂に終わったのは、Rの定位置に1人の女性が腰掛け、まさにRがしたと同じようなことを始めたのだ。「なに?自分、日本語がそんなに分かっていたの?」と思わず発した。「ワタシ ニホンゴ スコシダケ ニホンゴ ムツカシイ」と答えたくらいだから、かなり分かっているのだ。その上、他の女性達も片言の日本語で色々話しかけてくるし、僕の言うことを懸命に聞き取ろうとする。こんな光景は初めてだ。いつの間にそれぞれが日本語の力をつけていたのだろうと思わず感動した。  まるで重石が取れたようだ。今まではRの日本語力に頼って僕と交流していたのに、これからは自分達の力で僕と結びつこうとしてくれている。懸命に知っている言葉を捜す姿は感動ものだ。人を理解しようとする姿、理解してもらいたいと努力する姿は美しい。どんなものでも頑張っている姿は美しいものだ。日常の一こまにこんな光景が存在することに感謝しなければならない。