無傷

 実習生として日本で働いた後、帰国していたが、日本に再び来たいと奈良県の短期大学に入学した女性がいる。現在は、そこを卒業し大阪の専門学校で学んでいる。勉強熱心なのか、日本にいたいだけなのか今だ僕自身も測りかねているが、その女性が連休中に訪ねてきたいと連絡があった。なんでも4人でやって来るから泊めてほしいとのことだった。普通なら無理をしてでも泊めてあげるのだが、その中に男性が1人混ざっている事が分かった。依頼の電話は僕が不在時に妻が受けたので判断しかねていたみたいだが、息子に相談して結局は断ったらしい。息子は単に物理的な理由で断ったのだろうが、僕は一般常識に照らして即却下した。  10年近く、かの国の女性達との交流を許されているのは、僕が徹底して雇用している会社の規則を守ってきたからだ。そしてそれに輪をかけて日本人が持ち合わせている良識を徹底して守ってきたからだ。元々現地の会社で選抜された優秀な女性達の集団だが、つまらない誘惑よりもはるかに意義深い日本の生活を送ってもらうように僕は心がけている。  ふとしたきっかけで彼女達との交流を会社に許されたわけだが、長年の交流が僕にとって生活の中で一番幸せな時間と言い切ることが出来るのは、恐らく僕がなんら見返りを求めようと思わないからだと思う。見返りを求めないのではなく、見返りを求める気持ちが全くないのだ。いやいやもっと正確には、彼女達との交流に最初から、見返りと言う言葉は存在しなかったのだ。だから僕にとっては全く無重力の時間なのだ。  これは子供達が幼かった頃の無償の愛に通じるかもしれない。いやいやわが子には期待するところがあったから、本当の意味で無償と言えるのは初めてかもしれない。  今日2度の選抜に漏れた人たちを和気の藤祭りに連れて行った。1週間のうちに3度も訪ねれば僕も少しは藤のことが分かってきて、今日は遠くから見ただけで藤の色が褪せているのが分かった。案の定藤棚の下に立つと、低く垂れ下がっているところは新しい花だからまだ色鮮やかだったが、根元のほうは既に枯れかけていた。今日の同行者は満開の状態を知らないから結構楽しんでもらえたが、さすがに週3回はこたえて、出来れば無償で、いや無傷で連休を乗り越えたいと思った。