一角

 ついに一角が崩れた。と言っても僕が勝手に三角を作っていただけなのだが。  携帯電話を持っていないのは、漢方の先生と高山にいる僕の先輩、そして僕。3人で三角形を作っていた。三角形は安定するらしくて、僕は漢方の知識、と言うより薬局で人を治すための知識のほとんどを教えていただいた先生と、学生時代、ある価値観を一緒に行動することによって教えてもらった先輩とで、勝手な安定を満喫していた。こんな田舎の薬局でもやっていけるのは、治療の結果に満足してくれる人が多いのと、人を差別しなくて、むしろ虐げられている人に親近感を持てる価値観を学生時代に身につけたおかげだと思っている。この二つのどちらかが欠けても、今の僕の生活のスタイルはない。それどころか薬局もなくなっていたかもしれない。  そんな一角の漢方の先生が今日講演の中で突然、携帯電話を買ったと言われた。正確に言うと買わされたと言うべきか。先日大阪大学のある施設を訪ねた先生がそこで迷子になって、目的の施設にたどり着くまでかなり苦労されたそうだ。そのことを家族に話すと息子さんが、携帯電話を今時持っていない人はいない。迷い子になるようだったら是非持つべきだといわれたらしい。そこでしぶしぶ買われたみたいだが、これで一角がなくなった。  自分の意思で持たないと決めても、若い人達から見れば頼りなく、何か安全を担保するものが欲しいのだろう。確かに緊急を要する出来事が起これば便利この上なく、安心もこの上ないかもしれないが、やはり僕はまだ抵抗がある。四六時中、電磁波を身近に置くのも怖いし、自由を侵害されるのも怖いし、電車の反対側の座席の人間が全員携帯をいじっている都会の光景の中に自分が収まるのも怖い。  三角がついに直線になったが、次は点になるかもしれない。その点に僕と先輩のどちらがなるのか分からないが、ことこれに関しては先輩はしぶといと思う。どう考えても先輩が携帯の画面をのぞいている姿が思い浮かばないのだ。自由とか、自然とか、優しさとか、そんな言葉しか思い浮かばない人だから。