無念

 当時の事件をまだ覚えている人は沢山いると思う。中年以上の方はその悲惨な事件に心を痛めたはずだ。若い女性達が無残にも殺されたのだから、そして犯人が捕まらないのだから、いやおうなく印象に残っている。永久に犯人は分からないのではないかと思っていたら、どうやら犯人らしき人間が特定されたらしい。ただその人間が死んでいるから、罪を償わせることは出来ない。こうした状況を遺族の人たちはいったいどう受け止めるのだろう。さすがにマスコミは断定調では伝えないが、そしてコメントする友人らしき人たちも、強い言葉を使わないが、赤の他人の僕はそうした真綿にくるんだ上品なコメントなど出来ない。  犯人がもし病気で死んだりしていたら正に殺し得だ。それと同等の、いやそれ以上の苦しみを持って償わなければならないのに、仮に病院のベッドで手厚い看護を受けながら死んだなんてことになると、殺された人たちは浮かばれない。家族の人にとっては、むしろ犯人が特定されなかったほうがいいのではないかと思ったりする。もう手の出しようがない世界に犯人が行っていると知り無念さで苦しむよりも、まだ見つけて打ち首獄門にすると希望を抱いているほうが楽なのではないか。  それにしてもこの世は理不尽だらけだ。何の落ち度もなく、懸命に生きている人たちがこのような犠牲になり、悪意の塊みたいな奴がのうのうと生き、いやむしろ幸せ多く生きている姿をしばしば目撃するのは、世の常と言いながら、耐え難い。下々からアホノ何やらまで、償わなければならない人間が闊歩する異常な世の中だ。