士農工商

 個人的には可もなく不可もない年が終わる。ただ、目を外に向けてみると、可はなく不可ばかりの年であったような気がする。 外国のことは実体験として知りえないが、聞こえてくるところはどの国も同じような傾向を強めているような気がする。社会主義を名乗ろうが、資本主義を名乗ろうが、一党独裁を名乗ろうが、民主主義を名乗ろうが、実態は同じような気がする。それが証拠にアホノミクスはプーチンと馬が合うみたいだし、有色人種のくせに白人におべっかばかり使っている。よほど自分の風貌にコンプレックスを抱いているのだろう。黒人歌手が体を漂白して白人に近づこうとして、薬中毒で死んだのがいるが、アホノミクスは心を白人にしたがっているのかもしれない。白人は狩猟民族だから戦うことを好むが、気弱な人間こそ人には強がるものだ。  何処の国にも独裁者的な人間が台頭してきた年でもある。命を懸けて築いた地位というより、親の力や企業の御用聞きとしてなり上がった者が多い。だから見るからに頼りない。頼りないがその悪意はかなりのものだ。自分や応援してくれるパトロンには誠心誠意尽くすが、それ以外のものには目もくれない。目もくれないどころか、弱者を牛や馬のようにこき使う。生かさず殺さずの復活だ。いやいや若者は、金持ちやその企業を守るために「生かさず殺す」の運命を強いられることになるだろう。自由主義の中で生き、資本主義の中で生きてはいるが、実際には下層階級が固定化されている。生きていくためには言われたことは何でもすると言う、新たな階級の誕生だ。僕はそうした現代の流れを「死のう高尚」と呼ぶ。低俗が栄え、大手を振って歩く時代だ。