発進ショック

「発進ショック」・・・なんて格好いい言葉なのだろう。覚えたての言葉だから早くどこかで使ってみたい。 僕は自分でも無口なのかおしゃべりなのかわからない。年代によってその両方を経験しているような気もするが、少なくともこの職業についてから、無口であったことはない。毎日多くの方と会話をするから、無口でおれる筈がない。帰ってきた頃は若くて経験もなかったから、もっぱら当たり障りのない天気などの外堀の話ばかりしていた。年を重ねるにつれて、薬に関しては勿論だが、社会的な事象に関しても知識が増えてくる。そうなると自ずと会話の質も異なってきて、むしろ内面に入りこむ内容、いわば内堀の話題が増えてきた。でも単刀直入には尋ねない。事務的に情報を収集するのは得意ではないし、薬局ごときで、そこまでする権威はない。 今日初耳の「発進ショック」もそうした会話の中で出てきた。20代の若い男性は、機関車の保守点検などを職業にしている青年だ。鉄道お宅なら泣いて喜びそうな話を淡々としてくれる。おかげで僕も鉄道には少し強くなったかもしれない。 彼が電車に乗るときには職業柄色々なことを考えながら、感じながら乗るらしい。たとえば電車が走り始めるとき、ゆっくりとスムーズに出なければ、体が後ろに引かれるようになる。車に弱い人ならそれだけで酔いそうだ。その発進のとき体が後ろに押さえつけられるようになることを「発進ショック」と言うらしい。彼も時々私用で電車を利用するそうだが、時にそのショックをやわらげろと言いたい運転手がいるらしい。  時に漢方相談をしていて「自分に自信がない」という言葉を若者の口から聞くことがある。この青年もそうした傾向がある。ただこの「発進ショック」という言葉一つで今日の僕を仕留めたのだから、大いに自信を持ってほしい。人は誰もそんなに優れてもいないし、劣ってもいない。必ず用意された舞台はあるものだ。誰もあなたを演じることは出来ない。あなた自身で演じなくてどうする。