悪夢

 今から思えば、危うい日々だった。今思えば、どっちに転んでもよい日々だった。忘れたい日々であったし、それだから今があるようにも思う。  当時の僕を現代の若者の風景の中に求めるなら、さしずめインターネットカフェに通い、何時間も画面に向かっている青年だ。当時の僕と現代の青年は、向かい合っている機械が違うだけで、心象風景は同じのような気がする。バネで打ち上げられた小さな金属の玉が、たくさんの釘に当たり向きを変え、時にチューリップの中に入り喜び、だがほとんどは台の底に空しく消えていく。たったそれだけの単純な博打性のゲームを多いときには1日8時間くらいやり続けていた。僕の周りには、同じように登校出来ない学生や、仕事をサボっているサラリーマンや、身を持ち崩したおじさんおばさん達であふれ、そうした群れの中で孤独をかろうじてごまかしていた。  大学に入って5月にはもうやる気をなくしていた。やっと大学に入った達成感で、まるで腑抜けになって、それから先が全く見えなくなっていた。元々なりたい職業がなかったので、親と同じ職業を選んだのだが、朝から晩まで化学の授業には辟易とした。次第に教室から遠ざかり、同じように授業を抜けて出てくる劣等生と学食でタバコを吸って時間をもてあますようになった。そして次第に学校に居場所もなくなり、学校近くのアパートに住んでいた僕は登校してくる学生が降りるバスで、繁華街のほうに出かけるようになった。  ただそうした生活がいいとは一瞬たりとも思ったことはない。いつも深層では自分を責めていた。そして早くそうした生活から脱出しなければといつも思っていた。だが、そうした強迫観念にも似た葛藤から唯一逃げることが出来たのがパチンコだったのだ。現代版ではパソコンなどによるゲームと同じだろう。いわば僕は、現在ゲームで引きこもっている青年達の先駆者なのだ。  僕はその後得た職業のおかげで、当時の僕とほとんど同じような心境で暮らしている青年を多くお世話することになった。色々な原因で僕と同じような日々を暮らしているのだろうが、僕と同じような、防ぐことが出来た単なるミスマッチで苦しんでいる青年も多いのだと思う。あの頃、僕が何か自分がやりたいことを持っていたら、毎日有り余る時間を無駄にするような生活はしていなかったのではないか。最終的な目標をうかつにも大学に入るところにおいてしまっていたから、その後がまるでなかったのだ。受験制度や受験屋さんのせいにするつもりは全くない。感性豊かに育ってこなかった自分のせいだ。  恐らく本人が一番感じている「脱出できないはがゆさ」からの解放の処方箋を今の僕も持ってはいない。何故当時、結局、大学を卒業できたのか今だ分からないまま時に悪夢にうなされる。  巷では、悩める青年達には到底手にすることが出来ないような享楽が日々喧伝される。富める者たちが幸せすら独占する時代に、何をモチベーションに生きろと言うのだろう。時代は今まさに悪夢の中にある。