逆転

 僕にとっての渋川海水浴場は、と言うより、渋川海岸は、バイキングでかの国の青年達をもてなすホテルの下に広がる人気のない砂浜だ。広い砂浜に足跡を残す青年達を眺めているのが好きだったし、瀬戸大橋のかなりの部分が一望できるのも好きだ。教会に近いと言う理由、少し値段の設定が安いと言うこともあり、しばしば利用する。  夏真っ盛りに、県外に暮らすかの国の青年達が30人以上集まりバーべキューをするというから付き合った。砂浜の端にバーベキューコーナーが作られ、自由に楽しむことが出来るから、なんて行き届いた配慮だろうと感心していたら、何のことはない、うるさいやつらを一箇所に閉じ込めているだけの話だ。なるほどそうすればほとんどの海水浴客は、そうしたアルコールが入った人間と接触しなくてすむから楽しんで帰れるだろうが、酒も飲まずにバーベキューを楽しもうとする人間にとっては不愉快だ。日ごろどのような職業についているのだろうかと疑いたくなるような若者達が、10組くらいいただろうか。時に紋々を見せびらかして威嚇して回る輩もいて、とても楽しめる空間ではなかった。  その光景を見ながら僕は思った。この若者たちが僕らの世代になったら、きっと立場は逆転しているだろなと。自国では1日働いて500円、多くもらっていた人でも1000円までだろう青年達が、日本人がしない仕事を引き受けてやっている。いわば彼らは日々鍛えられているのだ。ところがその反対の日本人はどうだ。聞きたくもないが聞こえてくる話の内容で、或いは態度で、誰かの庇護の元で暮らしているだけだ。着飾ることくらいしか能がないのに、親が死んだら一気に生活苦に襲われるのに、あの能天気はどうだ。いずれやってくるだろう、日本人が東南アジアに出稼ぎに行く光景が。それとも日本の会社のほとんどの経営者は東南アジアの人になるのか。偉そうに言っていても、早晩日本人が彼らに頭を垂れる日が来る。