大掃除

 「ウタヲ ウタッテモイイデスカ?」僕の薬局は寮から5分もかからないのに、車に乗るやいなやみんなで合唱を始めた。異国情緒な旋律が興味深かったが、それ以上にどうしてこんなに楽しそうに、僕の薬局の大掃除に来てくれるのだろうと思った。「ごめんね、ごめんね」と何度も繰り返すしかなかった。  去年特別親しくしていたかの国の女性二人が、日本の大掃除と言う風習を覚えたのか年末に手伝いに来てくれた。僕らが仕事をしている傍で気がつくところをきれいにしてくれた。今年はそのことを言い残してくれていたのか、昨日になって11人が大掃除の手伝いに行くと言ってくれた。手伝いと言っても、大掃除の習慣がない我が家にとっては、中心になることは目に見えていた。   2台の車で迎えに行き、今パソコンに向かっている僕の傍で3人が、2階で5人、3階で3人が、それこそ熱心に、いや寧ろ本職のように掃除をしてくれている。我が家では挑戦する前から諦めそうな、何年も前のセロテープの残骸まできれいにしてくれている。階上では三脚に上がり、不安定な体勢で、むき出しの梁に積もった綿ゴミを時にモップで、時に掃除機できれいにしてくれている。下からでも見えていた綿ゴミが見えなくなっていた。  3階では、長年使っていなかった部屋のガラス窓にへばりついていた黒カビを丁寧にふき取ってくれている。2階でも3階でも「ごめんね、ごめんね」を繰り返すが「ミンナ、オソウジダイスキ」ととびっきりの笑顔で返してくれる。  恐らく会社では私語を禁じられているから、このかしましい○○○○語の洪水の中で、郷愁を断ち切って決意を新たにしているのだと思う。今日一人だけ大掃除に来れなかった女性は、国に幼い子供を残している。昨夜自分のパソコンが自由に使えだして、恐らく国に残した家族とスカイプで繋がったのだ。そのあげくのホームシックを薬で治るなら治してあげたいし、言葉で治るなら話を聞いてあげたい。見るからに優しすぎる女性が一人苦しむことだけは避けてあげたい。  年末年始を覆う空虚なマスコミの演出よりはるかに格調高いドラマを、僕は毎日見させてもらっている。