野菜

 「正月用の野菜を持ってきてあげた」と言いながら軽トラックから降ろしてくれるのだが、どう見ても正月用の量ではない。旧正月まで保存がきくのなら正月2回分はある。もしこれを夫婦二人で食べるとすれば、5年分くらいある。  逆の立場で言えば、野菜をあげるのは、量に関してとても難しいと思う。食べられる量なんて想像つくから、少しだけあげればいいのだろうが、それでは恐らく格好が付かないのだ。だから絶対食べられないだろうと思いながら、見てくれの整う量になってしまうのだ。だからダンボール一箱くらいの単位になってしまうのだ。数日分なんて量にしたら、みみっちいと不評を買うのが落ちだ。  今年は野菜が高値だとニュースでやっている。高値だと言っても野菜はとても値段が本来安いから、上がって当然だろうと僕は思っている。まして毎日のように腰や膝が変形したお百姓の老人達を見ているので、もっともっと野菜は高くていいと思っている。たかだか100円台のものを問題視せず、車や電力会社の異常な値段を問題視した方がいい。もっともマスコミはその手のものの奴隷でしかないので、真実を伝えることは出来ないだろうし、する気もないのだが。  庶民の不器用な善意と、持てる奴らの狡猾な悪意との対比を考えさせられる年末の小さな出来事だった。