真意

 寧ろ不意打ちで助かった。もし心の準備を整えて、今か今かと待っていたらあんなに冷静でいられたか自信はない。日にちを勘違いしていたのが幸いした。 3年間牛窓で頑張ったかの国の子達の第2陣が昨日帰国した。昼過ぎに別れの挨拶をしに来てくれたのだが、丁度そのときに漢方薬の相談の方が重なっていて、ゆっくりと話をすることが出来なかった。事務室で待っていてくれたのだが、帰国の準備があるからそんなにはおれなかった。彼女たちの許す時間が迫っても患者さんが切れなかったので、一人の患者さんに理由を説明して、別れの儀式だけはした。ただその中で一人だけ日本に未練がある子がいて、実際には国に帰ったらすぐに結婚するらしいのだが、僕が事務所に入っていって別れの言葉を言った瞬間に涙をこぼし始めた。他の二人は満面の笑み、それはそうだろう国に幼い子供を残してやって来たのだから1分1秒でも早く会いたいだろう、を浮かべているのだから極めて対照的だ。さすがにその涙を見たときは僕も思わずもらい泣きをしそうになった。3年間ひたすら働いて、お金を稼いで喜びのうちに帰っていくはずだから悲しむ必要もないのだが、別れというものが持っている力にひれ伏してしまう。  必ず会いに行くからねと言う一時の感情で以前帰った子達を何人も裏切ったから、もうその言葉を口に出すことはしない。指切りを迫る子もいるがそれも出来ない。なんとか無理をしようとすれば時間はとれるようになったが、なにぶん気力が沸いてこない。誰かを助けるとか役に立つと言うのなら動機としては僕の中では成立するが、センチメンタルだけではまだかの国は遠すぎる。  この国にいるときだけの「オトウサン」が丁度良いのではないかと思っている。少しでも日本人と対等に接し、日本文化に触れて帰ってもらえれば、僕の関わりが生きてくる。「オトウサン メズラシイ」と彼女たちに良く言われるが、言葉の壁で真意は分からない。だが、彼女たちが言う「メズラシイ」は「イケメン」の意味だと信じている。