確率

 今まで50人くらい見送ったが、恐らく帰国した子に、こちらから連絡を取ったのは初めてだと思う。彼女には来日早々辛い思いをさせた記憶があり、その時の光景が甦ったからだ。  3年間、こちらの大企業で働いて、沢山の経済的なお土産を持って意気揚々と帰って行った筈なのに、来日前に働いていた企業(現地法人)を辞めたと、こちらに残って働いている友人に連絡が入った。多くの帰国組は、3年前に送り出された会社にまた復活する。彼女達が働いている会社は、いわば大企業だから、しっかり管理も保証も行き届いていて、いかがわしい業者に100万円以上のお金を払って来日している人達とは違う。(ほとんどの実習生や研究生はこれらしい)そんな会社を辞めたのだから何かあったのだろう。気になったので理由を友人達に尋ねてみると、働くことがしんどいらしいのだ。日本でも残業を好んでするほど皆働き者なのだが、向こうの会社での働きはそれよりも過酷らしい。一度日本での働き方を覚えたら耐えられないのだろう。残業続きで休日もほとんどない繁忙期に「しんどいだろう」と声を掛けると「オトウサン ゲンキデス ザンギョウ ダイスキ」と答えていたのに。  ただ単に、会社を辞めただけなら僕もそんなに気にはならなかったのだが、その子がまた日本に来たいと言ったらしいのだ。これは僕には衝撃だった。と言うのは、その子は明らかにかの国に帰りたがっていたし、向こうでの将来のことも語っていた。それがまた日本に来たいとは、余程何か心境の変化があったのだ。そのことを聞いてみたくて昨夜、妻のフェイスブックを利用して連絡を取った。(僕はフェイスブックをしていないので連絡は全て妻にしてくる)  画面に現れたその子は以前と同じ笑顔だった。1年ぶりの再会だが、嘗てと同じようにことさら明るい笑顔を振りまこうとしていた。だが僕が「毎日楽しい?」と尋ねたときには顔の表情がいっぺんに険しくなり言葉が出なかった。僕は日本語で「まあまあ」あたりを期待していたのだが、暫くして返って来た言葉は「タノシクナイ」だった。4年前、来日したての頃に「日本は楽しい?」と尋ねてホームシックにかからせてしまったことと重なった。あの時あの子は一瞬にして涙を浮かべ皆が集っていたリビングから自分の部屋に帰っていった。忘れ得ない苦い思い出だ。  「〇〇ちゃん、お父さんの家、3階に一部屋余っているから、いつでも来たらいいよ」と同居している次女三女に通訳をさせながら言った。実習生として一度来日した人が、余程の幸運がないと二度と日本に来ることはできないことを知っていながら、そう声を掛けるしかなかった。それでも、多くの帰国する子達に言う「お父さんが行くから、待っていてね」よりは確率が高いような気がする。