僕流

 極悪人のアホノミクスにはいつも怒り心頭なのだが、普通の人に対してはそんなに怒りはしない。ただ、この女性にはいわゆる「切れた」。と言っても大声を出したり手を出したりしたわけではない。ただ一言「僕を信用できないなら、もう来ないで」  以前パクリでコップの水の例を引いたことがある。半分飲んだコップの中の水を見て「もうこれだけしかない」と「まだこんなにある」の評価の仕方があることを書いたが、正にその女性は、一口飲んだだけのコップを見て、もうこれだけしかないというタイプだった。そして何よりも僕の心を乱したのは、僕が作るかも知れない漢方薬の副作用の話ばかりして、どんなにすばらしい結果が待っているかなどの話がほとんど出来なかったことだ。一言で言うなら「何しに来たの?」だった。治してもらいに来たはずなのに、いちゃもんを付けに来たのと同じだった。付き添いにいつも必ず息子さんがついてくるが、この息子さんは女性とは正反対で、穏やかで知的で懸命に女性をフォローする。昨年ある時期、二人は集中的に来たが、息子さんの優しさに絆されてお世話した感じだった。  夜間頻便。こんなことはありえない。ただこの女性ならありうる。でも僕は治すことができる。こうした簡単な思考回路で十分喜んでもらえる処方が浮かんでいた。それなのに、どの引き出しの知識を持ち出したのか、ひどく僕はプライドを傷つけられた。そして「もう来ないで」発言が出た。すると女性は気がついたのか泣きながら謝り始めた。そして僕の漢方薬が欲しいという。気を取り直して最初に決めていた漢方薬を作って持って帰ってもらった。  翌々日、女性から速達が届いた。僕の態度に失望を感じたという内容と前医から、処方内容を理解して飲むようにと助言を受けていたから実行したまでだと書いていた。僕はその内容にはほとんど関心を持てなかったが、ひとつだけ驚いたことがある。それは、僕の前に腰掛けてなんども話をしているときの人間の未熟さと、手紙の内容があまりにもかけ離れていたことだ。手紙は理路整然としていて、使っている言葉も格調が高くひどく教養を感じた。あまりにも幼稚で無礼な目の前の姿は借り物のような気がした。  1週間目に電話が息子さんからかかってきて、夜間の頻回にわたる便も尿もかなり解消したと報告を受けた。生薬をかなりの量使って作ったから自信はあったが、1週間でほぼ見通しがたった。そして今日2週間目にやってきたのだが、ほぼ完治と言っていい。全く夜間に大便は出ないし、尿も年齢からいうとごく普通の人の回数だ。想定以上の効果で僕も嬉しかったが、本人はとても喜んでいた。そして完結に「嬉しい」と言った。今までなら結論が出るまでに数十分を要していたし、相手に対して否定から全てを始めていた。今日はそんな様子は微塵もなく、それこそ表情が全く変わっていた。無表情だったのが生き生きとしている。短期間で人はこんなに変われるのかと思うほどだ。  と言うことは今日の顔や言葉遣いや態度が本来の女性の姿だったのだろう。不幸な出来事をきっかけにどんどん落ちていった挙句があの表情だし、人間不信?医療不信だったのだろう。いわば僕はその歴史にかかわってしまった単なる不運なのだが、薬剤師人生のほとんど最後に差し掛かった今、毎日を楽しく皆さんをお世話したいというわがままに水を差され、「切れた」のだと思う。もう随分と働いてきたから、今まで関わってきたすばらしい人たちのお世話を楽しくさせてもらって、一杯笑ってもらって、一杯筋肉を弛緩してもらって・・・僕が行き着いた仕事の極意の内に終わらせてもらおうと思っている。年をとったからこそ出来ることがこんなにあるのかと思う。ただしそれは楽しくという大前提が必要だ。さもないとこちらが壊れる。身を守るために最後はわがままを通させてもらう。いたずらに患者さんに迎合せず、間違っても医療機関のおこぼれを期待せず、僕流を通したいと思った出来事だった。