ぬか喜び

 「僕もぬか喜びではないかとびくびくしていました。貴女と同じように、勿論部位は違いますが、多くの人達と痛みの治療を共有しています。いや痛みだけでなく全ての疾患と言っていいと思います。そうした方の好転のニュースを頂くのは嬉しいのですが、時としてそれが一過性で終わってしまうことがあります。一緒に喜んだのにと言う想いで余計辛くなってしまいます。そうした経験から、最近はぬか喜びを自分でも戒めるようにしています。少し冷静に、これが最近の僕のスタンスです。若さを失っているのでしょうかね。 ヤマト薬局 」  喜びも悲しみも・・・と言う世代ではないが、もともと喜怒哀楽が激しいタイプだから、治れば喜び、薬が効かなければ落ち込む。これを30年繰り返してきた。少々の朗報でも喜んでいたが、こちらが年季が入るに従って難しい患者さんが増えてきたから、少々の浮き沈みにその都度反応していたら、身が持たなくなってきた。「治りつつあったと思っていたら駄目だった」このパターンが一番こたえる。最初から薬に反応してくれなければ実力不足か、お門違いかだから諦めがつきやすいが、よい兆候が一転、停滞、あるいは後退なんて事になると、建て直しに相当の力を要する。  ぬか喜びという言葉を最初に使ったのは僕ではなく、漢方薬を飲んでくれている人だ。その人自身が僕と同じ、いや当事者だから僕以上に祭りの後の寂しさに耐えられなかったのだろう、ぬか喜びという言葉を使った。以来僕は自分自身に対する戒めの言葉として使うようにしている。ぬか喜びなんて事で許されてはいけないと。