姿勢

 もう何年か前、その薬を扱ってくれとある会社のセールスがやってきた。名前は何処かで聞いたことがあるくらいで、ほとんど知識はなかった。朝鮮人参や地黄が入っていて身体にはいいのだろうなと思いながら、結局セールスの話を聞き終わってもどんな人に勧めたらいいのか分からなかった。漠然と身体にいいものという印象だけを持って僕は話を聞き終えたと思う。おまけに小さなスプーンでどろっとしたものを掬って飲む方法が僕には受け付けなかった。 もう何年か前、県外から漢方相談に来た人が、ある薬局でその薬を勧められて飲んでいると言っていた。もう半年以上飲んでいるが効果がないばかりか、経済が続かないと言っていた。具体的に解決しなければならない疾患を持っていたのに、その処方に対するものは何も出ずに、散弾銃みたいな「身体にいいもの」がお勧めだったらしい。真面目な患者のその人はそれを信じて半年飲んだが、何の効果も出なかったのでさすがに他の選択肢を探して僕の所にやってきたのだと思う。 この種のように漠然と「身体にいいもの」は経済の悪化と共にほとんどの商品が苦戦している。例えばこの会社はつい最近会社を閉じたらしい。僕は長野にあるから放射能の影響かと思ったが、単なる売り上げ不振だったらしい。それはそうだろう、身体にいいと言うだけで、何処がどの様に良くなるのか元々ターゲットが定めにくいのだから、バブルの時代で捨てるお金がある頃ならいざ知らず、不景気の時代に目的のない買い物はしないだろう。思えば嘗ては色々な会社がその種のものを商品として華々しく売りだしていた。その手のものを多く販売する力があるところがよい薬局と言われていた時代だった。知識より口の回りの筋肉が重宝する時代だった。そんなことに嫌気がさして漢方薬の勉強に参加させて貰ったのだが。  嘗てのバブルの時代に全盛を誇ったどうでもいいものが、今や健康食品に名前を変えてはびこっている。節制も養生も鍛錬もしなくて何かに頼れば問題が解決するという姿勢は、今最大の問題にも共通している。胡散臭いものに懲りもせず食い物にされ続けるこの国の人達が本当は一番胡散臭いのかもしれない。