置き去り

 僕がハッキリ時代についていこうとすることを諦めたのは、携帯電話からだ。その予想される便利さより常に人と繋がったり管理されたり、あるいは電磁波を脳の近くに集めるのを嫌ってからだ。いわば確信犯なのだ。  昨日あるスーパーのリニューアルをつぶさに見て、2つのお店で時代の変化を又知った。嘗てならこんなものが店舗として、店内の一等地に展開されるようなことはないだろうなと思った。  カフェと名が付いていたから当然僕はコーヒーの店かと思った。でも店内はがらがらで、若い女性が受付に一人いただけで、席も全くなかったし、カフェの必需品も全く見あたらなかった。仕切がないから当然香ってくるはずのコーヒーの香りもしなかった。看板を見直してみるとカフェの前にジュエリーとあった。で、宝石を高く?安く?買いとる店だと分かったのだが、何となくその手のものは裏通りの人の目に触れない場所にありそうなので、その出世振りに世の変化を感じた。ついていけないし、ついていかない。  その隣の店も僕には異様に移った。1時間ぶらぶらして何回も同じ所を通ったが、隣のカフェに客が一人もいなかったのと同じように、この店もいなかった。いや帰るときに見たら一人カウンターに正に腰をかけようとしていた。この店は保険を見直すというようなことを標榜していたと思う。僕らが保険に入った頃、ほとんどの切っ掛けは、知り合いのおばちゃんというのが相場だった。簡単に保険のセールスは出来るみたいで、簡単になって簡単に辞めていた。だからこちらもほんのつき合いで入っていたものばかりだから、ほとんどすぐに解約していた。そうしてみると保険の見直しは需要が多そうだが、店舗を構えてまでして利益がでるんだと感心した。わざわざ店舗を出すような仕事かと思うが、周知させるには店舗展開は有効なのだろう。ただ僕としては保険の見直しくらい商売にせず、助言として全く好意の範疇に収めたらいいのにと思った。 時代は多くのもので僕を置き去りにしてくれる。ただその方が心地よいのだから、これからも選択的に、戦略的に、確信犯的に遅れをとってやろうと思っている。