止めて

 あれも止めて欲しいけれどそれも止めて。  折角の便利という存在価値が見え透いた接待で台無しになる。度を超すと、無くてもいいものになってしまう。元々僕の町には数年前まではなかったのだから、無くなっても何ら不自由はない。寧ろ90を過ぎた老母に添加物満載のご飯を食べさせるような罪なこともせずにすむかもしれない。 日曜日の昼食だけはどうしても利用しなければならないから、コンビニに行く。行くたびに必ず不快な気持ちで帰ってくるのは、例のワンパターンな応対のせいだ。相手の目も見ずに「何円になりま~す」が大の苦手なのだ。顔も見ずに話しかけられる筋合いもないし、まして崩れた訳の分からない日本語を使われたくもない。 最近それにもう一つの見え透いた所作が加わった。誰がいつ教えたのか、あるいは覚えたのか知らないが、いやいやもっと言うと、他のどんな業種の、どこの地域から伝搬してきた病気?か知らないが、お釣りを手渡してくれるときに、お金を持っている手の反対の手を、僕が差しだした手の下側にもってくるのだ。お金を落とさないようにしているのか、接近させた手で親近感を表しているのか分からないが、正直言って「気持ちが悪い」。以前からガソリンスタンドなどでもやっている記憶があるが、業態を越えて拡散していったりしたら、見え透いたものからの逃げ場が無くなる。  やらせる方の質の低下も甚だしいが、強要される側の質の低下も甚だしい。そんな見え透いた所作で何のメリットがあると思っているのか知らないが、レベルの低さを安直な所作で覆い隠しているとしか見えない。わざとらしい所作をすればするほど質の低さを露呈しているようなものだ。そんなもので購買意欲をかき立てることが出来ると経営者に思われていたら、消費者も軽く見られているものだ。もっとも、何百年も放射線に晒される過酷な運命を背負わされても、何ら断罪しないどころか、飼い犬宜しく尻尾を振り続ける国民性だから、反骨などと言う気概は望みようもないが。 いくら若い女性でも相手構わず媚びを売られたら「気持ちが悪い」。あたりまえの感性を備えた99%の人を見くびらないで欲しい。