居場所

 あるお母さんと話をしていて次のような数式を思いついた。「情報の質×量」  僕らの時代の子供と現代の子供の知識を比べてどうなのだろうと質問をされた時のことだ。その種のことに関して何ら予備知識も、と言うより興味もなかったから、正面切って問われたときに答えに窮したが、日頃多くの青年から来るメールを読んでいる経験からその様な式を思いついた。  容易に想像がつくのは、インターネットで検索できる膨大な情報とその安易さによる劣悪な質だ。対する僕らの時代は、もっと遡った時代も同じだと思うが、情報は活字しかなかった。勿論テレビやラジオも幾分かはその役目を果たしていたが、所詮娯楽でしかなく、情報源という取り方はしていなかったと思う。情報と言ってもうわべのハウツーではなく、思想書や哲学もどきなどを好んで読んでいたから、結構原則論の理解に励んでいた。すぐに何かの役に立つという実利的なものではなかったが、貧弱でも本質に迫る姿勢を知らず知らずのうちに訓練していたと思う。  さてその情報の質×量の積が、現代と僕らの時代でどちらが大きいかが問題になるが、それは生き様で証明するしかない。個々の事例を比較しても仕方ない。戦争を止められなかった世代が、高度成長を担った世代よりましのようには思えないし、高度成長を担った世代が、原発を止められなかった世代よりましだとも思えないし、原発を再稼働させた世代が、生まれた時から窒息しそうな萎縮した社会で生きていかなければならない世代よりましだとは思わない。 脱落、放棄、逃亡、自虐、孤立・・・なんて優しい言葉達だろう。そこかしこで見られる現代の若者の居場所達だ。