臨場感

 小説の書き出しではないが「そして誰もいなくなった」。 毎週岡山まで必ず出かけているが、僕の家から目的地までの道中、ついに「誰もいなくなった」いや間違った。「誰も昔ながらの薬局をやる人がいなくなった」。  とても頂くわけにはいかないようなお礼をある方が持ってきてくれた。お子さんの鬱状態をあっと言う間に治したからだ。僕のあっと言う間と、当人のあっと言う間は若干のズレがあったが、当人は1週間、僕は1ヶ月位を念頭に置いていた。本来鬱状態はもっと時間がかかってもっと難しくて当然だが、当人が発症して間もないことが分かっていたから、結構早く良くなるのではと思っていたのだ。案の定1ヶ月漢方薬を飲んでもらったら、もう本人も治ったような気がすると言っている。1ヶ月前、当人はいてもたってもおれない焦燥感で病院を訪ねたのだが、漢方薬も一緒に飲みたいと訴えたら、医師が漢方薬は後遺症が残るから止めておいた方がいいと言ったそうだ。その言葉に不信感を持ったその方は別の病院にすぐかかったらしい。そこで同じように医師の薬と漢方薬を併用したいと訴えたそうだが、その医師は「漢方薬もいいものだから併用してくれていいです」と言ってくれたそうだ。それからその病院の薬と一緒に煎じ薬を飲み始めた。心の不調の人は、こじらせて出口が見えなくなってから来てくれるのが普通だから、こんなに初期にお世話させてもらうことは珍しい。僅か1ヶ月間で、それも仕事を休んだのが結局数日だけで治ったのは漢方薬との併用が如何に素晴らしい結果をおもたらしてくれるか証明したようなものだ。  お母さんが不釣り合いなほどのお礼を下さったが、その時に言ってくれた言葉が「なんでも言えて、なんでも薬を作ってくれるところがあってよかった」と言う内容だった。僕にはこちらの言葉の方が数段嬉しかった。多くの昔ながらの薬局が消えて、今あるのはほとんどが調剤薬局だ。治療は医師が、投薬は薬剤師がと言う分業だが、主導権は圧倒的に医師にあり、当然薬局は医師の機嫌を損ねないようにしなければならない。そうした力関係には耐えられないから、僕は旧来通りの独立した薬局をやっている。こんなに田舎にあってどうして僕の薬局が一番に廃業しなかったのか、逆にいつまでも残っているのか分からないが、現代医学では救われない、落ちこぼれた方々を救うことが出来れば、それに優る喜びはない。 「僕は一所懸命仕事をしているだけだから手ぶらで来て!」とお願いしたのだが果たしてその様にしてくれるかどうか。「人様の役に立てるだけで嬉しい」を田舎の薬局で愚直に継続してきただけだから、正直お礼をされるのは苦手なのだ。何かの不調から脱出するお手伝いをさせてもらえれば充分なのだ。まるで車屋さんが油で顔を汚して車の中をのぞき込んでいるような臨場感だけで充分なのだ。