ラジオネーム

 ただ眠気覚ましのためにカーラジオから流れてくる番組を聞くとはなしに聞いていた。その日はブリティシュロックの変遷を1日がかりで追うらしくて、午後の3時過ぎだったから、リスナーの人にとっては折り返し地点くらいだろうか。何の興味もなかったが、時々僕でも分かる専門用語?が出てくるので、何となく他の局に変えようとは思わなかった。 リクエストも出来るみたいで、ある方が僕の知らない歌手の曲をリクエストしていた。そしてその方のラジオネームがふるっていた。「明日の試験はもう諦めた」さんなのだ。思わず僕は声を出して笑った。対向車の人が見たら薄気味悪かったかもしれない。 今頃試験があるのは高校生か予備校生だろうか。その番組を聞き入ってしまってとっさに勇気ある決断をしたのか、ずいぶんと努力したあげく最終的に手応えを感じられなかったのか分からないが、嘗て僕が何度も繰り返した心理状態だから、とても親近感を覚えた。 大学に入ってから途端に勉強の動機を見つけることが出来なくなって、それこそ金のない遊び人になった。金がないから何も出来ず、ただひたすらに怠惰を決め込むだけだった。それでもどこかに罪悪感があって、どこかに弁解に似た逃げ道を作っておかねばならなかったから、やたら角川の文庫本を読みあさった。内容は極端に偏っていたが、その偏りが後の人生で大きく役だった。決してしてはいけないことを教わったから、大きく道を踏み外すことはなかったし、傷つけてはいけない人達には優しく、傷つけてやらなければならないやつには刃向かうようになった。亀の甲ばかりの薬学に興味は持てなかったし、それよりも入学してから「苦手」だと分かった。大学5年間で得たものはいち早く諦める勇気がついたことだ。後悔も未練もなくなればほとんど諦めは麻薬のようなものだ。そこに逃げ込みさえすれば当分気持ちが楽なのだ。ずいぶんと先など考えもしないし、考えられもしない。全てが逃避から成り立った思考なのだ。 そのあげくが今の僕だから、人生なんて何ら力む必要がないと見た。今よりちょっとよくても、今よりもちょっと悪くてもそんなに大差がない。今よりもずいぶんとよくなる能力は何ら持ってはいなかったし、それよりもなによりも努力が苦手だった。今よりずいぶんと悪くなれるほど、愛情薄く育ってもなかった。どっちみちそこそこしかなかったのだ。ラジオから流れる気の利いたユーモアに笑い声が漏れるくらいの幸せが今ならとても貴重に思える。日本全国の「アシタノシケンハモウアキラメタ」さんはおそらく「アシタノニホンハモウアキラメタ」さんだろうが、ただ何十万の人をスローデス(ゆっくりとした死)に導く奴らが監獄につながれるのだけは見届けたいものだ。