優しさ

 小出先生が沖縄講演で引用した言葉を後日談で聞いた。ウォーリスチャンドラーと言う作家の最後の作品(プレイバック?)の中で「強くなければ生きていられない、優しくなれないなら生きている価値がない」と書かれているところがあるらしい。この言葉を先生は沖縄の置かれている状況や、福島を追われている人達のことをふまえて引用されたらしい。  何が理由で分かれるのか分からないが、人は自然に強い立ち位置に居場所を求める人と、その逆に分かれる。それもいとも自然にそうなってしまう。どんな時でもどんな場所でも自然とそうなってしまう。大いなる意志が働いているようには見えない。居心地の良い方に人は自然と居場所を求めるみたいだ。僕は明らかに前者ではない。そんな立場に立ったりしたものなら居心地の悪さや後ろめたさで潰れてしまう。不幸なことに、政治家を始め多くの肩書きを追い求める人達はほとんどが前者で、その上に質の悪いことにその多くの人間が「優しくなれないなら生きている価値がない」人達ってことだ。  放射能に汚染されて命を絶ったのは酪農家だった。お墓に避難しますと書き残したのは老婆だった。どうして被害者が自ら命を絶たなければならないのだろう。命を絶たなければならないのは、何万人の家や土地仕事を奪い、故郷から追い出した奴らだし、何百万人、正確に言えば世界中の人間に放射能をばらまいた奴らだ。ところが奴らは罪の意識が全くないから謝ることすらしない。優しさなんて奴らの辞書にはないのだろう。  上手くは生きて来れなかったがなんとなく精一杯生きてきた。不本意に傷つけてしまった人もいるだろうが、出来るだけ後者に立ち居地を求めたから大きく傷つけることはなかったと思う。漢方薬を勉強したから、後者の人達が多く訪ねてきて来てくれてその人達との人間関係が今の僕のほとんどを占めている。一時宗教の中で「優しくなれないなら生きている価値がない」を学ぼうとしたが、そこも又何ら世間と変わりなく、いや世間以上に前者が居心地の良さに浸っていた。僕は今、日常の至るところで「優しくなれているから生きている価値」を掴んだ人に触れ合うことが出来る。苦しみの中でこそ掴んだ各自の価値観に触れさせてもらっている。謙遜に、根っから謙遜に暮らしている多くの人達に学んだ。そして多くの勇気ももらった。強くなるためではなく優しくなるための勇気をもらった。