絶対音感

 まるで機械のように、いや、これが人間なのだろうか。今度の日曜日にどうしても歌わなければならない唄があるのだが、歌詞はタガログ語、曲は初めて聴くものだしで、さっぱり分からない。コードは載っていたから和音だけは出せるが聴けたものではない。伴奏も唄も出来なくて焦っていたら娘がパソコンで見つけたライブ画面を見ながら、音を取ってくれた。楽譜に書かれても分からないから、ドミソなどとカタカナで書いてくれた。これならだいたいのイメージくらいは音に出来るかも知れない。それにしても幼いときからの訓練は大したものだ。何となく習わせていたが、水泳と同じで身に付いている。いわゆる絶対音感という奴も健在なのか、後からピアノで確かめていたが間違ってはいなかったみたいだ。訂正した後がなかったから。あたかも機械的に行ったかのような作業だが、本当は磨かれた感性のなせる技なのだろう。 時代が違うと言えばそれまでだが、僕が習った唯一のものはそろばん。当時、何処の子もと言った感じでそろばんを習っていた。今で言うとさしずめサッカーみたいなものか。年に1回の検定試験を岡山市まで1時間バスに揺られ受けに行き、帰りに百貨店でミカンジュースを買う。この唯一の楽しみのために、汚い畳が敷かれた塾に通っていた。1級を取って何になったのだろうと思うが、当時はそれが一つの肩書きだったのだ。遊び道具をほとんどもたず、それでもよく遊んで幸せだったのか、そうではなかったのか分からないが、幸せすぎた経験がないぶん、無理をしてまでそんなものを手に入れようとは思わなかったから幸せだったのかも知れない。  無理をしすぎた人々が毎日紙面を賑わすが、人を機械のように想い使い傷つけたあげくのなれの果てが多い。人間として産み落とされても、何時までも人間でおれるとは限らない。いくつもの笑顔といくつもの涙を織りなしてやっと人間のままでおれる。それも又一つの幸運なのかも知れない。