感慨

 もう亡くなってから何年も経つのに、目頭が熱くなるような話を聞いた。 何回か思い出話として登場してもらった漢方の世界の先輩が、生前に知識をコンピューターで整理していた。そのことは本人から直接聞いていた。当然それは3人のお子さん達のためにやっていることだろうと思っていた。3人とも薬剤師になったり目指していたから、父親としては当然のことだ。僕もそこまで機械屋ではないからパソコンでとは行かないが手書きで残している。ところが彼が生前そのまとめ上げたものを僕にくれるとある人に漏らしていたらしいのだ。ある人とは、漢方の問屋さんの専務なのだが、職業的に僕以上にその方と親しかったと思う。そしてそのまとめ上げるだろうものの価値がかなりあることを知っていたから、本人も譲って欲しいと頼んだらしいが、100万円持ってきても駄目と言われたらしい。実際にはそれどころの価値ではなく、薬局を楽しくやっていける秘訣が一杯つまっていただろうと思うが、そんなものを赤の他人の僕に譲ってくれようとしていたことが、驚きだったし、とても嬉しかった。恐らく僕に届かなかったのは、作品が完成する前に旅だったからに違いない。  思えば僕とは正反対の性格の人だったが、何を評価してくれてそこまで親切にしてくれようとしてのだろう。共通の先生を誰にも負けないくらい尊敬していたから、その頂いた知識を正しく使えとメッセージを込めようとしていたのだろうか。所詮他人なのにどうしてそこまで考えてくれたのだろうか。凡人の僕には分からない。早く亡くなったから実らなかったがそれ以上の親切はない。もっとも、師事している先生の勉強会に若い僕を入れてくれた親切以上のものもないのだが。  決して追い越したくもなかったし、追い越せもしなかったが、亡くなってから何年間でひょっとしたらやっと追いついたかもしれないと、嬉しくもない感慨に襲われた。