戸車

 なんてことだ、4人で首を傾げたが、あり得ないことはあり得ないのだから誰かが意図的にしたか意図的に見落としたかだ。でももう20年以上使ってきているから、当事者を特定は出来ないし、いつ誰に頼んだなかなども忘れている。 薬局の入り口の自動扉がギイギイ音がして誰の目にも、いや耳にも故障していることが分かる。機械好きの何人かの男性に指摘された。みんな気がついているだろうが、口に出すか出さないかだけの違いだと思う。内装工事のついでに自動扉の不具合も見てもらった。業者が戸をはずして戸の底を見て驚きの声をあげた。「戸車がなくなっている」3人とも、言っている意味が分からなかった。あんなに大きな戸車が、僅か数㎜の隙間から出てくるはずがない。たとえ壊れたにしても数センチはゆうにある金属製のものがミリ単位に都合よく壊れるはずがない。「この扉はいつはずしました?」と聞かれてすぐに答えられるわけがない。何となく一度それこそ今回と同じような調子になって専門の業者に治してもらった記憶がある。専門と言ってもすでに当初取り付けてもらった業者が倒産して辞めていたから新しい業者にやってもらっているはずだ。どうしてその業者を見つけたのか、誰かの紹介だったのか忘れたが、なんてことだと呆れた。まさか新築の時に真新しい戸車がなかったとは考えられないので、途中の修理の時にはずしたままセットしたのだろう。作業現場を見張るほどお節介ではないので完全に任せきりだが、そうした自分の気性が若干悔やまれる。  僕は新しい自動扉に替えないといけないことは覚悟していたのだが、内装業者と自動扉の業者の人がなんとか治す方法はないかと話し始めた。工具や油を車から降ろして不都合を一つずつ潰していってくれた。そして戸車さえ替えれば充分使えるという結論に達してくれた。他の現場が終わってからやって来てくれたので夜の10時頃だったが、日当も出ないような結論に至ったことが気の毒だった。  実は今回娘達が小さな改装を考えたときに依頼したのが、井戸を掘る会社の社長なのだ。専門外のことだが、何となく建築業者と繋がっているのではないかと考えた。案の定すぐに信頼できる人って言うことで若い内装業者を紹介してくれた。それからは若い彼に全てを任せてやってもらったのだが、彼の連れてくる職人達も又ごまかしがなかった。今まで薬局と住居を2回に分けて建ててもらったが、不満がかなり残るものだった。いい人はおおむねいい人に繋がっているものだと、今回の改装を通して感じた。その逆も当然あり得るわけで、前者に遭遇した場合の感動は心地よい。ちょっとしたことがちょとしたことにならないのなら、必ず前者であって欲しい。