武器

 最近、ある時に妻がしみじみと言った。「お嫁に来たときからお父さん(僕のこと)が治すという言葉を良く口に出していたのが不思議だった」と。勿論僕はそんなことを覚えてはいない。ただ、妻は薬局などとは全く縁のなかった家の人だから、薬局は薬を買う所で、治してもらうところではなかったのだろう。僕も決してお医者さんのまねをするつもりはなかったが、お金をもらう以上は結果が出て欲しいと牛窓に帰った当初から考えていた。  メーカー主催の勉強会はありとあらゆるものに出た。全くの白紙で帰ってきたからそれはそれは役に立った。考えてみると昔はメーカーも力があって、教育?にかなりの力を費やしていた。もっとも自社の製品を販売して欲しいという企みなのだが、それでも手っ取り早く医学薬学の知識を得るには打って付けだった。そこで勉強してきたことを薬局に帰り実践して、少しずつ力を付けたように思う。でもそれはあくまでOTCと言う、いわばドラッグストアにでもあるような武器でしかなかった。知識と経験で、いつのまにか使う術は上達したが所詮武器不足だった。  偶然、ある人の紹介で漢方薬の講義に出席させて頂くことになって、それまでとは比べものにならないくらい「治す」腕が上がった。いわば失意のうちに田舎に帰ってきたけれど、その教えを請うてから一段と治すことにのめり込んで、しかし逆に力むことなく淡々と訪ねてきてくれる人に接することが出来た。病院みたいな高度なことは薬局には出来ないし、求められてもいないが、現代医学からこぼれた患者さんの役に立てるようになった。経済が介在する仕事だから、出来るだけ満足してもらいたい。そうしないとこちらに後ろめたさだけが残る。この様に今も思っているが、最初から無意識のうちにそんな風なスタンスをとろうとしていたのかなと、懐かしく妻の話を聞いた。  何故か、僕をふとその道に導いてくれた今は亡きその人に感謝。