いじめ

 首を傾げて長い時間考えていた。でもやっぱり見つからなかったのだろう「ポルトガル語にはいじめって言葉はないですねえ」と言った。 10年以上も前から余程その存在が恐れられているのだろう、裏を返せばその人が権力を握れば都合が悪い人達が沢山いるのだろうと推測される人物が、尿管結石で搬送された。かなり辛い痛みが常識だが報道に病状を心配する気配はない。声を落として、悪意の間を入れて原稿を読まれてはますます作られた悪人になる。そう言った話をある方にしたら、まさにその方も腎臓結石の痛みで漢方薬を取りに来たところだった。ニュースでその話題を知っているかと尋ねたら知らなかった。一人の人間をこんなに長い間公の機関を総動員していじめるような国はないとオランダのある大学教授が言っていたが、ブラジルでもこんなケースがあるかと彼に尋ねたら、いじめと言う行為自体がなくてそれだからこそいじめという言葉もないと言っていた。  この国しか知らない僕にとって彼の説明は興味深かった。ブラジルは歴史が浅い国で、色々な人間の寄せ集めみたいな国らしい。それこそポルトガル系からフランス系、黒人系、彼みたいなアジア系、勿論南アメリカの原住民系。それらがそれぞれの生活様式を受け継いでいるから、統一した価値観や習慣がないらしい。100人いたら100人全員が異質なのだそうだ。例えば友人の家に行く楽しみは食べ物が家々で全く違うと言うことらしい。みんな異なるという前提で社会は成り立っているのだ。だから異質を排除することはない。その発想すらないのかもしれない。誰もがそれぞれの個性や習慣を持っていていいのだ。だから日本みたいな画一的な価値観や習慣を強要されるようなことはない。島国で、ほぼ同一民族故の画一性がもたらした「いじめ」を国会や捜査機関やマスコミが堂々とそろって行っているから、社会の小さな片隅で大人や子供がそれを真似ても不思議ではない。善人面で、延々と繰り広げられる島国ならでの光景にうんざりする。