ルームシェア

 ルームシェアという住み方が流行っているそうだ。寝る所だけが別でキッチンやリビングは共有らしい。なんだか時代の先端を行っているらしくて、人とのつながりを求めて敢えて選択している若者が多いのだそうだ。綺麗なキッチン、広いリビング、そこに集って談笑している姿を見ればさしずめ外国のようだ。その魅力と問題点を特集しているテレビ番組を偶然見た。  その番組を見ていて思わず僕の口から出たのは「なんだ若竹荘と同じではないの」と言う言葉だった。若竹荘とは大学時代に住んでいたアパートだ。通称「監獄」と呼ばれ、東京間の3畳の一部屋に洗面器が一つ付いているだけだった。それ以外は何もない。牛窓から持っていった荷物はそれでも十分収まった。岐阜で新たに買ったものはひんしゅく以外ほとんどないから、持ち込んだ机とホームごたつと布団が収まって充分な広さだった。鉄筋3階建てに小さな鉄の扉が21個付いていたから、まさに外観は監獄だ。どうして同じような人種がアパートにも集まってくるのか分からないが、学生とは名ばかりの一癖も二癖も三癖も四癖も五癖も・・・・いい加減ひつこいか・・・・ある人間ばかりだった。  若竹荘ではガスコンロが二つ階段の踊り場にあり、トイレは各階に二つずつあり、風呂は一階の階段の下のスペースを利用して二つあった。どれも共同だ。ただルームシェアと呼ぶにはガスコンロは外階段の途中だし、トイレも風呂も戸を開ければ外だから(建物の中ではない、部屋だけが辛うじて外の空気と遮断されるだけで、後は全て開放されて外気そのもの、道路から全て丸見え)和気藹々とは言えないが、それでも確かにシェアしていた。各々気が合う人間の部屋に集まっては、実り少ない時間を必死に食いつぶしていた。 ルームシェアなんて言うと格好いいが、なんのことはない、昔に帰っただけだ。経済が成長しなくなって、夢を追い求めることが出来なくなったから、慰め合って生きる仲間が欲しくなっただけだ。劣等生が集まり、破滅的な生活をしていた僕らと趣は異なるが、どこか似ている気はする。モダンか胡散臭いかだけの違いだ。 そうしてみると時代なんてそんなに進んではいないのかもしれない。道具はさすがに便利になったが、人は所詮人と繋がってしか生きられないのは今も半世紀前も、いや縄文の昔ともさほど違ってはいないのだろう。僕らは確かに部屋をシェアしたが、各々の青春も粉々にしてシェアしていたような気がする。