昨夜東北の女性と電話で話をしていて、彼女が新聞の購読を最近やめたと言った。僕もこの数ヶ月いつやめようかと考えていたから同じようなことを考える人がいるものだなあと心強く思った。偶然同じ新聞社のものを長い年月読んでいて、恐らく同じ理由で新聞を読むことをやめたのだと思う。 まず新聞社に良心がない。精神もない。単なる金儲けの手段だ。福島のことでもうそれは見え見えで読んでいる方が恥ずかしくなるくらい、権力の構成員に成り下がっている。いやいやもとからそうだから成り下がってはいないか。素のままだ。恩恵を被り続けた相手の批判は出来ないと見た。過去とつじつまを合わせるために、懸命に事実を隠し続けていると見た。不都合な相手は十数年に渡って紙面を利用して追いつめるくせに、自らの過去を正当化できないとなると、真実の報道をしない。  どうやら醜く肥満したドジョウも、原発を廃止するという閣僚が出るとは思ってもいなかったのか、マスコミを利用して追い出すつもりだろう。原発反対などと口走れば、政府、役人、企業、マスコミの総攻撃に遭うらしい。「死の町」だなんてことは口には出さなくても誰もが知っている。百年帰れない町が生きていると言えるのだろうか。「放射能つけた」のも、事実なのだ。その衣服には放射性物質が付いているかもしれない。いやついているとして考えた方が、幼い子供や妊婦を守ることが出来る。なんて言う名前の大臣か知らないが、又弁護する必要もないが、原発に反対する人間はこうして寄ってたかって悪意の集中砲火を浴びるのだ。とても先進国ではない。常日頃馬鹿にしているどこかの国と何ら違いはない。 早く集金に来ないかなあ。紙面から得る情報より紙面から溢れる不愉快さの方が優っている。月々いくらか知らないが、その浮いたお金で競馬新聞でも買おうかな。いや、競艇かな。いや競輪かな。鉛筆をなめながら紙面に線を引こうか。それとも裁かれない巨悪に線を引こうか。