作業着

 懲りない面々は経済界の人間だ。この期に及んでまだ原発を推進したいらしい。もっともそんなこと当たり前で、金がすべての人間達だから考えを変えることなど期待する方が馬鹿らしい。只、今危険にさらされている人達の、そしてこれからも日常のありふれた生活を奪われる人達の寛容さを甘く見てはいけない。まるで磨りガラスの向こうだった風景を多くの人が見てしまったのだ。一部の人間が、冨を追求するために、市民を虫けらのようにしか評価していなかったことを。彼らにとっては、市民とはいくらでも次から次に穴から出てくる働き蟻でしかなかいのだ。その上、消費までしてくれる便利な存在だったのだ。  決して汚れることのないおそろいの作業服を着ている政治家も同じ穴の狢だ。そんなに安全なら、政治家も、学者も、経営者もあの県に移り住んで、子や孫を学校に通わせ、地で獲れた魚や野菜を食べ、牛乳や水を飲ませてほしい。嘗て誘致に奔走した人達も同じだ。必ず責任をとることと、自分も苦痛を体験すること、この2つがなくて又磨りガラスでは日常から隔離された人達の気持ちが収まるまい。もう金で人の命を買うのは止めにすべきだし、金で命を売るのも止めにすべきだ。肩書きで守られる社会があってはならない。それは裏を返せば肩書きで見捨てられる社会でもあるのだから。  汚れない作業服で一体何を守っているのだ。