場違い

 つい「自分の国は暖かい?」と尋ねてしまう。ベトナムが寒いと言うことを聞いてカルチャーショックだったのがまだ尾をひいているのだろう。まるでスキー場にいるような暖かそうな服を全員が着ているから、今度は正解だった。だから「日本は寒い」と顔をしかめていた。知ったかぶりの僕は「ベトナムって寒いんだって」と彼らに教えると彼らも又それは初耳らしく驚いていた。「ベトナムとフィリピンは同じくらいの緯度」とある女の子が言ったから家に帰ってから調べると確かにそうだった。同じ緯度でありながらこの差の理由は分からないが、当事者が言っているのだから何ら疑う余地はない。それにしても驚きだし、知らないことばかりだと自分でも情けない。 今日その中の一人の女性が国に帰っていく。でも彼女はすぐに韓国の同じ系列の会社に向かうそうだ。まだ日本に残る同僚達が彼女のことを可哀相と言っていた。色々な国で働けて楽しいだろうと言う僕に返ってきた意外な言葉だった。人差し指と親指でこれだけになると2cmくらいの間隔をあけたのは、目一杯開いた間隔からそれだけに減るって意味だった。同じ造船所で働いても、三井造船と韓国の会社では給料がかなり違うらしい。「日本では沢山給料をもらっているの? 満足しているの?」と尋ねると全員が満足と言っていた。僕はこんなたわいもない会話の中で、彼らが経済的に満たされていることを知ってとても嬉しいのだ。そう言えば全員がとてもいい顔をしているし、感謝や日常の小さな献身も自然に身に付いている。異国に来て真面目に働いている若者達が多くを手にして返って欲しいと素直に願う。 彼らの完全防備とは逆に僕は晩秋のままの服装だった。外に出していたバケツの水が底まで完全に凍り付くような冷え込みだったが、それで何か服装の工夫をするような習慣は僕にはない。だから偶然戸外で10分くらいのセレモニーの時間に、僕を見かねた神父様がご自分のジャンパーをわざわざ持ってきて下さった。大丈夫ですと断っていたのだが、いざ着てみるととても暖かく、さっきまで震えていたのが嘘のようだった。他人はこんなに温かいものを着ているのかと、珍しい経験をした。  どうしてこんなに僕の不調を沢山の人が知っているのかと驚くくらい多くの人に声をかけてもらった。神父様にはぎっくり腰ですと、わかりやすい言葉で切り抜けようとしたら「それだけですか?」とまるで見透かされているような言葉をもらった。仕事を辞めれば治ると思いますと言うと、「それでは辞めてください」と言われた。単純明快だ。そう言った決断も出来ずに、これから先も不調を抱えて仕事をするのがいいのか、硬直した価値観の呪縛がわれながら情けない。 何の流れかみんなの前で「労務者とは云え」を歌った。昔あるところで歌ったとき「ワシらの唄だ」と言ってくれた人達がいた。当時僕にはそんな仲間がいた。今日僕は場違いを承知で歌った。場違いなところでこそ歌うべきだと思ったのだ。

『労務者とは云え』 訳詞: 高石友也 曲:ボブ・ディラン 1、ある日街を歩いていたら 年寄りの労務者が倒れてた   冷たい歩道に仰向けになり 一晩以上もそのままらしい ※ 労務者とは云え 人ひとり死ぬ   誰も歌わぬ 悲しみの歌 誰も看取らぬ その亡骸    労務者とは云え 人ひとり死ぬ 2、新聞紙1枚顔に被せて 道をベッドに石枕   顔に刻んだつらい道のり 一握りのばら銭が彼の財産   ※ 3、衰えかかる命を知るとは 穴から空をのぞくようなものさ   脚を痛めた競馬の馬が 小屋で死ぬのを待つようなものさ