勝負あり

 もう数回、漢方薬を取りに来ている30過ぎの女性が腰をかけるなり、この2週間の状態の変化を説明してくれはじめた。ところがその途中で、電話での相談が入った。運良く電話相談はすぐに終わったので事務所から薬局に戻ってくるとさっきの女性が携帯電話をしきりに操作していた。薬局を閉める前なのに制服姿でいつもやって来るくらいの女性だから、さぞかし忙しい仕事についているのだろうと推察して、メールを打ち終わるまで僕は待つことにした。電話相談はほんの1,2分だったから、瞬時を惜しむ姿に、今の若者達の働かされ過ぎの一端を見た思いがした。じっと待っている僕に女性が気がついてごめんなさいと言ってくれたので「いいよ、そのまま続けて。でも忙しいんだね、瞬時を惜しんでメールをやりとりするんだ」と言うと、「いいんです、モバゲイしているだけですから」と笑って答えた。「なんじゃそりゃあ、打ち首獄門にするぞ」「絞め殺してやろうか」「たたき切るぞ」普段だいたいこの3つを用意して落ちに使うのだけれど、どれも実際には口から出なかった。今僕が一番嫌いな宣伝のあの「大人のモバゲイ」を地でいっている人がまさに目の前にいたのだ。ある意味衝撃的な光景だった。してやったりと会社の人間は思っているだろう。彼女が特別なのではなく、全国では何百万人の人が同じように行動しているのだろう。携帯電話を顔に近づけ小さな画面に釘付けになっている光景は一種鬼気迫るものがある。優しい表情の温厚な女性なのだが、ここまで熱中している顔は見たことがなかった。心はギャンブラーなのか。いや、今はゲーマーとでも言うのだろうか。  もうこれは勝負あったりだ。ごく一部のIT起業家の勝ち。軍配は上がった。負けたのは国民。その勝負に協力したのは多くの従業員と宣伝に登場するタレント達。プログラマー達は時代にマッチした能力をゲームに花開かせたのだろうが、その貢献が何か他の生産的なものだったらと思うのはアナログ世代の感傷なのだろうか。何百万人もの人が一斉に小さな画面に向かい小さなボタンを押している姿が、嘗てタバコをくわえ、身体をよじり、もくもくとパチンコのバネを弾いていた人種より進歩しているとは思えない。少なくともバスに乗り、歩いて通わなければならなかった当時より、時間も場所も選ばない便利さがより薄気味悪い。 会計の時も画面を見ていた女性は、嘗ての僕よりは数段品も経済力もありそうだ。これらの人をこんなに虜にするプログラマーの人に賞賛は惜しまないが、何か違う、何か違うと頭上で切れかけた蛍光灯がつぶやいていた。