水圧

 「塾って、やっぱり効果があるのですか。現代では必需品なのでしょうかね。僕らの時はなかったから余りピント来ません。学生時代、塾で雇われ教師をしていましたが、来ている中学生にタバコをもらって吸っていました。中学生の方が金を持っていましたから。今から思えばなんて塾だったのでしょうね。知らぬは親ばかりでした。こんな時代もあったのですよ。」  さすがにこんな返事をしたら呆れていた。頑張っている子達に何の励ましにもならない返事だが、僕は励ますつもりなんかない。思えばもう何年も人を励ましていないのだろう。逆にどのくらいの人の足を引っ張ったのだろう。何故か頑張りすぎて墓穴を掘っている人ばかりと接点が出来るから、どうしても頑張らないでと言う機会が多いのだと思う。逆に頑張らないでおれる人、それも堂々と手を抜ける人は恐らく心も体も強いだろうから僕の職業とは縁が出来ないのだと思う。  僕もそれなりに頑張ったこともあるのだが、頑張り方がどうも下手だったのか、頑張りが足らなかったのか、所詮この程度で落ち着いた。大海で泳ぐ魚にはなれなかったが、ため池ぐらいの広さなら泳げた。暮らすだけの水草も餌もあったから泳ぎ続けて来れたが、すいすいとは行かなかった。でも分相応の生き方をして不足はなかった。大きな事をする才に恵まれていないことは自身で分かっていたから、水門を開けて大海に出ることはしなかった。生あるうちに成し遂げる勇気を持たないことは決して欠点ではない。無理を無理して潰れて溺れるよりいい。世界は人が決めるものではなく、自分が決めるものなのだから。あの人と私の世界は違うのだ。ほんのちょっと偶然交錯する事があっても、私の世界を侵されることはない。生き方に順列は不要だ。どこから円を書き始めるかだけで優劣はない。浮力に逆らう水圧に負けないで。