峠越え

 メールを読んですぐに返信した。メールの中のある数字が間違いではないかと思ったので。一けた違うだけなのだが、その一けたの差で思い浮かぶ光景はかなり違ってくる。  「昨日マラソン大会で寒い中、雨でびしょびしょになって14キロ走ったので、風邪をひいたのかもしれません」このメールを女子高校生から頂くとほとんどの人が単位が間違っているのではないかと思うだろう。だから僕はすぐに「14kmなの?1.4kmなの?」と返信メールを送った。ところが彼女から帰ってきたメールは「峠越え(往復で)もしないといけないのでかなりえらいです;女子は14キロで男子は16キロです。一応進学校なんですけど伝統行事らしくて昨日の暴風雨でも走らされました」だった。 峠越え・・・何と旅情に充ちた言葉だろう。恐らくその地の人は日常会話の中で使っている言葉だろう。日本海側のある地方都市で暮らす女子高校生の、息を切らしながら坂道を駆け上る姿が目に浮かぶ。「かなりえらいです」の言葉がデジタル化された文字に体温を与える。その「えらさ」は青春に似て、人生の上り坂を駆け上がっているからこそ感じる「えらさ」なのだ。僕がお世話している症状も含めて、まだまだ続く上り坂の青春を味わい深く過ごして欲しい。自然溢れる地方都市で、いい人に囲まれ育んだ純情をいずれ人のために活かして欲しいと思う。それが出来る人なのだから。  好きでもない勉強のせいで僕の青春時代なんて無味乾燥だった。どうせ勉強で報われないのなら、スポーツか文化系のクラブ活動にでも邁進して、毎日を楽しく暮らせば良かった。今から思えば何をやっていたのだろうと、まるで記憶の空白地帯だ。その空白を埋めるために大学に入ってから、勇んでみたが、元々合ってもいない大学だから、僕に出来たことはせいぜい勇み足程度だった。頑張る理由を失えば青春なんて何処までも墜ちていける。  墜ちれば「えらくない」のだ。14kmどころか140mも走らないのだから「えらくない」のだ。峠を越えて走る彼女に悔恨のエールを送る。「えらい」って、時にこの上ない希望そのものなのだから。