機関車

 確かに僕の漢方薬の狙い通りの変化なのだが、あながち薬だけではなく、この猛暑による仕事への追い風の方がもっと効いたような気がする。 田舎で商売を継続させるのは、いや、都会でも同じ事かもしれないが、なかなか大変な時代だ。多くの店が止めていく中で、そのお店は立派に残っている。ご主人を半年前からお世話しているのだが、当初訴えの多かったこと。そしてその訴えの内容が来るたびに変化する。医療の提供側も、受ける側も、治りにくいものに関して便利に使う言葉があるが、その代表的なものが自律神経失調症だろう。天下の宝刀宜しくこの言葉の前では患者も妙に納得しておとなしくなる。 あげればきりがないくらいの症状があり、あげればきりがないくらいの病院にかかった。一番治したいところはどこ?と最後には締めが必要なくらい訴えが機関銃のように飛び出てきて、それを聞いている僕の頭は散弾銃になる。いや最後にはこちらの集中力も切れて散漫銃になる。それでも2週間分ずつ工夫をしながら煎じ薬を渡していたら、次第にどんと構えるようになり、今では「これ以上悪くならなければいいとしなければ」などと達観した答えが返ってくる。こんな模範的な答えがでてくるのだから、実際もう随分良くなっていて、今一番辛い症状はなにと尋ねても、答えを捜すのに苦労していた。以前なら一番と尋ねているのに、答えは10個くらいは返ってきたものだ。 お店の業態にこの暑さは神風を吹かしたらしくて、忙しそうにしている。そのおかげが大きくて、自分の体調を気にする余裕もなかったのではないか。仕事が暇になるとどうしても経済的な不安が頭をよぎり、マイナスのストレスがそれこそ自律神経をかく乱する。そのせいで自律神経の支配域がドミノ倒しのように不調に陥っていく。気持ちのありようが当然の事ながらすべての臓器を支配する。  どの業種も同じだと思うのだが、寡占化が進んで大企業が占有率をどんどん高めている。そのうち、小さな個人営業の店は消えてみんなが勤め人になってしまうのだろう。消費者と接するのは地域に共に暮らす人ではなく、どこからか派遣されてきた人達だ。いずれ立ち去る所に真心を尽くすことが出来るのだろうか。知らない町でまるで旅人のように留まることを知らない人達に磯の香が、田園を渡る風の香が匂うだろうか。  歴史は機関車のようにわき目もふらず突っ走っているが、振り落とされまいとしてしがみついている呼ばれざるものは、今鉄橋の上から深い谷底を見下ろしている。