安全運転

 日曜日の朝、寝坊が目を覚ましてやっと行動する頃、10台以上のオートバイが国道を南下していた。左端を1列とはいかないが2車線道路をすべて占有するような走り方ではなかった。僕の車が追いついたのだからそれほどスピードを出しているわけでもない。ただ、見るからに若くて、着ているおそろいの服の背中に○○組と書いてあった。桃組なら幼稚園で可愛いし、C組なら僕の中3の時のクラスだし、星組なら宝塚で華やかだ。ところがその手の名前に使われることの多い「龍」だったか「虎」だったかが書かれていた。刺しゅうするほどお金がないのか、まだその域に達していないのか、何となく質素だった。そう言えばオートバイも特別大きいというわけではなかったが、ナンバープレートだけはしっかりと水平に折り曲げられていた。 僕は追い越し車線を並行して走ったのだが、1人の如何にも幼い少女がオートバイの後部座席にまたがりタバコを吸っていた。本人としては悪びれて格好いいと思っているのかも知れないが実はそのタバコの味を僕は知っている。僕もあの頃全く同じようなことをしていたのだ。違うところと言えば、格好いいオートバイではなく、超中古の原付バイクだたって事だ。さび付いて、なかなか始動できずに、平地を懸命に走ってはその勢いでエンジンをかけていた。キックでかかれば運がいい方だった。それでも走り出せば格好つけてタバコを吹かしながら、予備校に行く振りをしてパチンコ屋に通っていたものだ。その時のタバコの何とまずいこと。美味しくも何ともない。おまけに風で火の回りが早くてあっという間に済んでしまう。なけなしのお金で舞台装置を整え、誰も見ていないのに、まるで映画の中の悪役のように振る舞っていた。青春期特有の1人芝居なのだ。あの子も又、観客のいない舞台で孤独な演技をしているのだ。  華奢なライダーを追い越すときに見ると少女だった。信号で止まったとき先頭をずっと走っていた少年がその子を振り返って笑顔を送っていた。とても優しい顔をしていた。これからどこに向かうのか知らないが、すこぶる健康的な時間に出発していることは間違いない。悪びれる事でしか注目を集められない少年達の連帯が左折して消えていった。よい子ぶったり、よい子を強要されて自滅していくより遙かに人生の安全運転をしているように思えた。