体力

 ああ又みてしまった、例の悪夢を。でも今回のは特に夢の中と言え情けない。試験が迫っているのに全く勉強をしていない。授業にも全く出ていないからノートも何もない。友人のを写して丸覚えすればよいことに気がついたのだが、後1週間ですべての科目のノートを写し丸暗記するには体力がないことに気がついた。それで潔く諦めた。  実際の話とただ1カ所だけ違うところがある。それは体力を理由に諦めたことだ。嘗てはさすがに若かったから体力を理由には挙げなかった。当時なかったのはやる気と根気と動機だった。学生として最低限必要なものすべてを失っていたから、それこそ潔く諦められた。「もうやんぴ」と即断即決で試験が始まる時間にアパートで熟睡した。1年を棒に振るなんて、1週間の勉強よりはるかに楽に思えた。話はそれたが、まさか夢の中で自分の体力不足を自覚するなんて、それこそ夢にも思わなかった。どうあがいてもこの体力では試験は無理だと思えた。 この夢を見たのには誘因がある。何をきっかけにして思い出したのか分からないが、昨日嘗てサッカー少年団の世話をしていた頃のことを思い出していた。そして一番印象深い出来事を思い出し苦笑いを禁じ得なかったのだ。  どんな偶然が重なってそうなったのか定かではないが、ほとんど素人に近い僕が、サッカーの試合で主審をしなければならなくなった。スポーツ少年団とは言え、応援の父兄が一杯詰めかけていて、殺気立っていた。一度だけ審判の講習を受けてはいたが、ほとんどサッカー経験者のコーチに審判は任せていたから、実地の経験は全くなかった。運の悪いことに線審の経験者もいなくて、全くの素人の父兄に頼んだ。この心細さはいったい何に例えたらいいのだろう。紐がほつれているバンジージャンプか、車輪がはずれているジェットコースターか、破れたパラシュートか、甲板に穴があいている潜水艦か、いやこれこそ清水の舞台から飛び降りる心境だった。試合が始まると早速サッカーをかじっているだろう父兄から非難の声が聞こえた。審判がそれらの威勢の良い声に影響されては試合が成立しないから、僕はがんとして判断を翻さなかった。どうせどちらのチームにも等しくミスジャッジするのだからと居直った。まさに火事場の馬鹿力で何とか乗り切ったが、こんな事を今になってふと思い出すのだから、真剣に審判講習を受けていなかった後ろめたさがあるのだろう。  長い人生で楽しかったこともあったはずなのだが、ほとんどその種のことを思い出すことがない。ここまで徹底していやなことばかりを思い出すのだから、ひょっとしたらいいことなんてなかったのではないかと思ってしまう。思い出したくないことは鍵をかけて心の中にしまっているのだが、夜の奴が夢という合い鍵を使って器用に盗み出す。枕に食い込んだ後悔が現をも蝕む。