消去法

 よく使う煎じ薬は何人分か作り置きしておく。ガラスケースに入れて数種類並べている。昨日その中の一つを使おうとしてケースを持った瞬間思わず声が出るほどの痛みが走った。ガラスケースを持っただけで痛みが走ったのだから、一瞬何がなんだか分からなかったがすぐに血が溢れ出たので何が起こったかは理解できた。ケースをよく見ると劣化した部分でガラスが少し割れてはがれ落ちそうになっていた。中の生薬に押されて1,2mm或る部分だけ盛り上がっていた。それに気がつかずに僕がケースを持とうとして指を動かしたものだから、一瞬のうちに1cmくらいを切り裂いたのだ。 こんなにちょっとした傷なのに結構痛い。それなのに毎日新聞やテレビで伝えられる不幸の痛みは全く伝わってこない。何人亡くなったか、何人傷ついたか、数字が伝えることができるのは遠くで起こった不幸の大きさだけであって痛みではない。車に跳ねられたときの痛みはどのくらいなのか、土砂の中で息絶えるのはどのくらいの苦しみなのか想像することすらできない。全くの幸運だが、その種の不幸に遭遇したこともないし、遭遇させたこともない。誰だって加害者に、又被害者になりうるほど不幸な出来事は日常に氾濫しているが、願わくばこれからも今までのようであって欲しい。身をもって知る痛みにも、不本意に知らしめる痛みにも耐えるほどの精神と肉体の強靱さは持ち合わせていないから。  大きなものを得なくたっていい、何も成し遂げられなくたっていい、ただ傷つける事が少なく生きていければそれでいい。消去法でたどり着ける幸せもある。