失礼します

 あまり公の集まりに出ることがないのだが、それでも年齢と共に断れない肩書きが時にそう言った場に出ることを強いる。いつの頃からだったろう、耳に付く言葉を発見し、その事を自覚すればするほど余計耳について、今では「失礼します」恐怖症だ。会社関係の会議に出たことは一度もないから、民間の会議での実際は分からないが、公務員関係の集まりなら100発100中だ。 見方によっては謙虚とも取れるが、100%これを枕詞におかれると、あながちそうばかりとは受け取れない。まだ何も言っていないのに、まだ何も作業を開始していないのに、どうして失礼なのか分からない。失礼かどうかは結果でしか判断できないはずなのに、導入の挨拶として成立するのかどうか。その言葉自体に主語がないから、責任の所在をわかりにくくするために考えられた自衛の言葉のように感じる。一見、謙虚のように感じるが実は巧妙に考えられ生き延びている言葉のように思えてならない。かつて、どこかで、誰かが初めて使ったのだろうが、少なくとも僕の行動半径の中では公務員言葉としてだけ普及している。  謙虚と慇懃無礼は似ていて非なるものだ。例え同じような言葉、同じような態度をとられても印象は全く逆だ。ただ、それらを判断するには皮膚があれば簡単だ。頭はいらない。鳥肌が立つ皮膚さえあれば簡単に判断できる。 教師を含めた公務員の方達、ひょっとしたらこの辺りだけで通用している言葉かもしれないが、えらそうなことを言って「失礼します」