門戸開放

 まだどう見てもお札の出し入れに難儀する年齢には見えないのだけれど、その女性はやたら時間をかけて財布にお釣りの千円札を数枚しまった。その間カウンター越しに僕はじっと待っていたのだが、妙な沈黙が流れたことを悟ってか女性が訳を教えてくれた。一枚一枚財布にしまっていたのは、上下を合わせていたのだそうだ。それも人物像の頭をすべて下に向けて。理由はと言うと、お札が出て行きにくくする為なのだそうだ。足の方から出ていくのは不便だから、逆立ちにさせておけばいつまでも留まっていてくれるのだろう。今日釣り銭で返した野口英世には、財布の中で倒立させられているのだから気の毒なことをした。 「よく言うじゃろう」とその女性は言うが、僕は初めてこんな話を聞いた。よく言う割には誰も言ったのを聞いたことがない。その家の言い伝えなのではと思われるが、ひょっとしたら瀬戸内海のある島の出身の人だから、島の中だけで「よく言う」話だったのかもしれない。それにしても庶民の慎ましやかさが良く出ている。最近公開義務により発表が続いた会社役員の高額な報酬1秒分にも満たない金額を、後生大事に出ていかないでと願掛けているのだ。 食うに困らない年金をもらっているはずはないのだけれど、どうしてみんな食えているのか良く分からない。田舎だから田畑を持っている家が多いから、それこそ食べ物には困らないのか、あるいは兼業農家で現金収入があった時代に蓄えが出来ているのか、遊ぶところがないから自然に貯蓄できていたのか。豊であることは田舎だから難しいが、とことんまで貧困に陥る可能性も少ないのかもしれない。ほとんどが普通の人達、僕の好きな条件だ。ずいぶんと豊かな人達にはお目にかかったことがないから、そちらに気を使う心配もない。真逆の人達には精神的には寄り添ってあげたいが、実利的な援助が出来る能力がない。その苦手な両極端が少ないのが田舎の住みやすさかもしれない。 その女性を真似て僕も時間をかけて財布の中で倒立させておこうと思うのだが、僕の財布はいつ買ったのか記憶にないくらい古いので、もうちゃんと裏戸が開ききっている。倒立させておいても頭からスッと出ていけそうだ。自慢ではないが、つい先日スーパーで買い物をしてしまった釣り銭が、床の上に大きな音をして転がった。ちゃんと財布に入れ、ちゃんとズボンの後ろポケットに入れたのに。門戸開放もここまで行くと不自由だ。