瞬間移動

 羽が生えているのだから横着せずに飛び越えろって言いたいような光景だった。でもよく考えたら、遊び心一杯の雀なのかもしれない。 テニスコートのぐるりには当然ネットが張られている。何メートルあるのだろうか結構高くて、余程ホームランを打たない限りボールが外に飛び出すことはないみたいだ。そう言えばテニスコート外でテニスボールを見たことがないので、生徒達は皆上手いのだろう。  そのテニスコートにいつものようにツバメや雀や鳩が時間差で降りたって遊んでいた。僕が近づくとさすがに鳩以外は逃げる。その中で雀が今日面白い行動を取った。2羽の雀が、ネットを越えて飛び去るのではなく、僕の顔の辺りの高さのネットに止まると、そのまま網の目をくぐり抜けテニスコートの外に飛び立ったのだ。強引にくぐるのではなく、一瞬のうちに向こう側に瞬間移動したような素早さだった。どう見てもとっさの行動ではなく、しばしばやっていることの再現のように思えた。それこそ目にも留まらぬ速さで網の向こう側にいたから、どれくらいの目の大きさかと思って近づいてみると、ちょうど3cm四方くらいだった。このくらいの目なら瞬間移動できるのかとさすがに野生の身のこなしに感心した。 昼頃、声を落として相談なんですけれどと言って入ってきた奥さんがいた。どんな重病かと思ったら、コウモリがしばしばお嬢さんの部屋に侵入するから防ぐ方法はないですかって話だった。勿論僕はそんな知識が全くないから、答えを持ってはいないが、確かにこうもりはやっかいだ。夜しか動かないし、噛まれたら狂犬病になるなんて話もどこかで聞いたような聞かないような。誰にも答えられるような返事しかできなかったが、それこそコウモリはかなり小さい穴でも侵入できるらしい。奥さんも穴なんかないはずなのにと嘆いていた。雀の瞬間移動ならまだ可愛いが、これがコウモリとなるとちょっと後に引く。「ニンニクでもぶら下げておいたら」と根拠のないことを言うと「ドラキュラではないのだから」と奥さんもつっこみを入れる。でも本当は笑い事ではないのだ。今夜も又お嬢さんは不安な夜を迎えることになるだろう。 夜明けを待って鳴き声を上げながら元気そうに飛び回る鳥たちと、夜陰に紛れて獲物を狙うコウモリとどちらに相性が合うかと言えば、一応この僕でも夜明け派だ。夜になるに従って元気になる体力はもう無いし、権謀策略を巡らす野望もない。瞬間移動して再現したい過去もないし、たぐり寄せたい未来もない。ただ、今日の労働の対価の倦怠感を少しばかり網の目の向こうに置き忘れてみたいだけだ。