数字

 天と地の人間が同じ事を考えていたとは我ながら驚いた。いつの頃から僕はその言葉を良く口にするようになっていた。心が折れそうな方が多く来られるようになったからだろうか、あるいは自分が肉体的に衰えだして、実感として口から漏れ始めたのだろうか。 天の方、お釈迦様はどの様な表現を使われたのか僕は知らない。でも僕は俗っぽく「この世は9の苦しみを1の喜びでごまかしながら生きていくようなもの」と表現していた。これと全く同じ事を、数字まで一致しているところがおこがましいが、お釈迦様が紀元前に言われていたらしい。僕は仏教に関して、又お釈迦様に関して全く知識がないから盗作ではない。何でこんな凡人が同じ数字を並べたのか我ながら気が引ける。  只実際には時代が違うから僕の数字は少し大袈裟かもしれない。お釈迦様の時代には、克服できていないものが多すぎただろう。飢餓、病気、圧政、環境問題等上げればきりがない。そのほとんどを科学や経済で克服している現代とでは圧倒的に生きる困難さが違う。それなのに何故敢えて僕は9対1の数字を上げているのだろう。それは取り残されているだろう人達のことが頭にあるからだ。順風満帆に暮らすことが出来る人は数字を逆転させる方が実体に合っていると思うし、まずまずの生活を送れている人達は、半分以上が喜びで苦しみを上回っているだろう。しかし明らかに喜びから大きく取り残されている人達がいる。それも決して少ない数ではなくて。  ただ、それらの人達にこの世は苦ばかり多くてとは言えない。出来るだけその苦を軽減できるようにお手伝いできなければ意味がない。カウンセリングの能力もないし医師ほどの医学的な知識も武器もない。あるのは青春期、パチンコ屋の喧騒の中で世の中を斜めに見ていた屈折した視力だけだ。その屈折が現代の屈折を眺めると至極正常に見えるのだ。マイナスとマイナスが出会うとプラスになるのと同じ理屈だ。数字しか頼れなくなった人間が、数字では表すことが出来ない苦の前で立ち往生している。