日曜日の朝のあるワイドショーは、出演するコメンテーターの幾人かに好感を持っているので時々見る。その番組で毎回不快きわまりない一瞬がある。それはスポーツコーナーに入る前に元プロ野球監督が鼻歌を歌いながら登場する場面だ。老人の音程をはずした鼻歌を何で聴かされなければならないのだろうと不愉快この上ない。その瞬間が来れば当然チャンネルを変える。  最近別にひいきにしているわけではないが、江川紹子がその鼻歌を歌う方ではない元プロ野球選手との考え方の違いで番組を休む(休ませられる?)と聞いた。精神論をぶつその老人に反論したみたいなのだが、その老人の領域を侵したとでも言うのだろうか。これは局の方が判断してその様な方策を講じたらしいが、僕は最近の彼女の気付きに少し期待しているのだ。以前にも述べたが、やたら迎合ばかりのコメンテーター、やたら揚げ足取りばかりのコメンテーターにうんざりしていたので、そのどちらにも属さないテレビ人間はいないのかとずっと思っていた。彼女の他の番組でのコメントを聞いていて、このところの変化に少しだけ救われるような思いがしていた。 いったいどのレベルの人間があのような職業に就きたがるのか知らないが、くだらない人間の話を聞くのは正直屈辱なのだ。テレビのこちら側にいて、一方通行の言いたい放題にはうんざりする。毎日屈辱感にさいなまれていて、まるで自分を安売りしているようなものだった。もうそろそろこの辺りで「いい加減にくだらないやらせは止めよう」と内部の人間が告発すべきだと思っていた。「恥ずかしい」を忘れた人間達にそれが出来るのかと思っていたら、少しだけ彼女にその兆しを感じることが出来た。  僕は、いたずらに硬質を望むものではないが、得るものの余りにも少ない公共(?)の欺瞞に耐え難くなっている。平和の鳩も「苦苦苦」と鳴きだしたらおしまいだ。