浜辺の唄

 昔と変わらない高音の綺麗な人だなあと感心して聴いていた。ところが歌の間の伴奏の所で急にステップを踏んで踊り始めたから、一気に興ざめした。もう70歳になっているのだろうか、顔の皺は仕方ないとして、とってつけたようなぎこちない動きは、こちらの勝手な想い出を踏みにじるばかりか、返って同情をひきそうだった。見ていて美しくないのだ。嘗て宝塚出身だと言っても寄る年波には勝てない。老いを目の当たりに見せられただけだ。もしあの踊りがなければ、洗練されたプロの芸を高く評価するが、あの踊りで一気に僕ら視聴者側と同じ地平に立ってしまった。僕が幼いときにしばしば聴いた彼女の「浜辺の唄」はとても綺麗だった。僕が好きな歌だったから余計耳に入ってきたのかもしれないが、女優が歌う唄のようにはとても聞こえなかった。 寅さんの妹はどこにでもいるようなおばさんだったが、歌声はどこにでもいるようなレベルではなかった。澄んだ歌声だった。人格までがその声のようなのではと誤解するほど美しかった。ベールに包まれたままの永遠を、勝手に期待されたら彼女たちもたまらないだろうが、銀幕の向こうの人はいつまでもそうであって欲しいような気がする。銀幕のこちらにやたら出てきてまるで日銭を稼ぐような露出は、せっかくの作品をも台無しにする。秘めているからこそ芸術にもなるのだ。  掃いて捨てるほどのその類の人の中では彼女の実力や実績は素晴らしいものがあるのだろうが、それでもなかなか吉永小百合にはなれないのだ。化け物かと言うくらいに、いや、これが本当のプロフェッショナルと言うくらいの美しさを保つのは、何に匹敵するくらい難しいのか分からないが、それが出来ないなら、ベールに包まれたままか、あるいは品が増した美しく老いた姿を見せて欲しい。静が動より数段輝いたり生命力に富んだりすることもあるのだから。