「手先の細かい作業で物を作っているからいつまでも出来ない仕事です。もうちょっとしたらこの辺りを物乞いして歩き回っているかもしれません」と言う彼に、思わず「もうその準備は着実に出来ているではないの」と返した。それはそうだろう、髭ぼうぼうでよれよれの衣服。毛糸の帽子をかぶっていたから分からなかったが、きっと頭もぼさぼさだろう。靴下は履いていたような気がしたが草履だったような気もする。  こういった類の人をどのジャンルに分ければいいのだろう。芸術家のようでもあり、職人のようでもある。見方によっては自由人と言ってもいいし、浮浪者を彷彿させる数々の行動パターンもある。まず自由であることを最優先に暮らしているように見えるから、物差しを変えなければなかなか彼らは測れない。そもそも、いわゆる杓子定規からはみ出している人達だから測る対象ではないのかもしれないが。  彼の様子はかつての僕ではあるが、僕の汚さは彼とは違っていた。明らかに今の彼よりは汚かっただろうが、圧倒的な若さが当時僕にはあった。自称、綺麗な汚さの中で青春をもてあましていたが、働き始めると同時に全てを封印した。いや、封印できずにぼろが時々出るが、それは心優しい人達に大目に見てもらっている。僕がこの空間で心地よい状態を作りだし、訪ねてきてくれる人の役に立てることを保証してもらっている。  類は友を呼ぶのか、高山にいる僕の先輩のことを口にし、僕を驚かせた。高山にいる、彼に輪をかけたような人とどの様な接点があったのか知らないが、およそ僕などより彼の方がその人の現在について知っていた。6月に又高山に行くと言うから伝言を頼んだ。どうせ何も用事はないが、ただ元気で幸せそうにしているのを知って嬉しいって事を伝えて欲しかった。岐阜にいる先輩と彼とだけには無条件で幸せでいて欲しい。と言いながら二人とも僕なんかよりそれぞれ数段幸せなんだろうが。 芸術とも職人技ともついぞ縁が出来なかったから、平々凡々とした人生を送ってきた。その類の人達のしがらみの薄さに嫉妬することもあったけれど、所詮持ち合わせているものが最初から違う。自由を欲しがるほど不自由ではなかったから、自由には拘らなかったのかもしれない。自由を求めることで被る不自由に耐える自信もなかったのかもしれない。そこそこに生きたから、そこそこの人生しかなかったが、分相応だと便利な言葉の中に逃げ込む技だけは身につけてしまった。