買い物

 珍しい。大きなお店で買い物をして心地よい経験は余りないのに。  何もいやな感じを受けなくて店を出れれば幸運な方で、ほとんどの場合不快な感覚と共に出る。よそを見ながら、有難うとか、いらっしゃいませとか、マニュアル通りの受け答えにもつい反応してしまう僕だから、返した言葉があちらを向いている店員に命中しない屈辱感は、何回味わっても慣れるものではない。何も言わない方が寧ろ落とし穴に落ちたような感じにならないからいいのだが、向こうは言わないと給料がもらえないのだろう、必ず連呼しているから僕には逆に命中してしまう。 あるものを買いに行ったのだが今日の店員2人は違っていた。男性と女性だったがどちらも40歳を挟む年代だったろうか。男性の方にはある質問をした。そこの売り場ではなかったのだが、僕の欲しいものが陳列している場所まで案内してくれた。その移動の時間、色々と説明してくれた。全く時代遅れの僕だから未知の世界の商品には猜疑心の方が強い。便利をやたらテレビで宣伝されているから使ってみようと思ったのだが、買って帰って使えないと言うのが恐らく関の山だ。それを防ぐどころか、もっと多くの便利を教えてくれた。さしあたって今必ずというものではないが、かなり近い将来僕にも必要になると思った。必要にして十分とは言えないが、有用な情報だった。 数点を買ってレジに行くと女性の店員が応対してくれた。何を思ったか、僕が買っているものを、これはこういったものと短い言葉で説明し、よろしいですかと尋ねた。その説明で、よりベターなものがあることが分かり、レジ係の女性が陳列場所まで取りに行って換えてくれた。それならずいぶんと、今までのものと比べたら考えられないくらい長く持つらしい。今まで安いものですませていたからしばしば買い換えなければならなかったのだが、驚くほど経済的だし効果も優れていることが分かった。「お手数をかけてごめんね。僕は時代遅れでさっぱり分からないの。今まで安いものばかり買っていたけれど、やはりお宅で買わないとだめですね」と言うと、彼女は決して作ってはいない溢れんばかりの笑顔で「そうですよ」って答えた。彼女は最初から僕の目を見ていた。だからほんの数分の間に嘘のない心の交通が出来た。至極当たり前のことなのだが、これが現代ではとても難しいのだ。お世話になったことにお礼を言って店を出たのだが、買い物をしてこんなに気持ちよかったのは珍しい。3点1800円でこの気持ちを味わえたのだから、とても安くて価値ある買い物だった。