父の日

 僕がデパートの地下に行くのは年に1度か2度だ。場所柄、野菜を下さる農家の方が沢山おられて、お中元とお歳暮の時期にまとめてお返しをすることにしている。どなたに頂いたか記憶しているのは僕だから、この買い物だけは僕の役目になっている。  いつもはなんとなく居心地が悪いので、適当に選んですぐ出るのだが、今日は妻が僕の役割をしてくれたので、ゆっくりと店内を見て回った。すると今まで目に止まらなかった売り場が一杯あって、とても新鮮に見えた。気がつかなかったのか、新たに出店したのか分からないが、多くのコーナーがとても魅力的に見えた。惣菜もメチャクチャ垢抜けていて、もし近所に住んでいたら毎日調達に来るだろうと思った。とても家庭では出来ない代物ばかりで、もしそれらが健康にも良いとなったらもうかぶり付だ。経済そっちのけで通うだろう。  バームクーヘン専門店があって、ショーウインドウを覗いていたら、若い店員が説明してくれ始めた。僕が興味を惹いたのは、本物の材木かと思わせるものだった。高さ30cmくらいの丸太を模していて、切り株も演出していて見とれていた。彼女いわく非売品らしいが、僕と同じように勘違いして値段を尋ねる人がいるそうだ。彼女は「食べてみますか?」と試食品をくれた。あまりに優しそうな子だったので、珍しく僕は口にしてしまった。こうなると僕はもうだめなのだ。妻を呼びに行って、大事な方への中元の一つに利用してくれるように頼んだ。試食の時に「僕は買うことが出来ないけどごめんね」と言いながら食べたのだが、彼女は「かまいませんよ」と笑顔で答えてくれた。その答えこそが僕に行動を起こさせたのだ。彼女の今日の成績に上積みしてあげたいと思った。そして妻に一番高いものを買ってもらった。丁寧に礼を言われ、丁寧に礼を言って妻とその場を離れた。  出口のほうに歩いていると、シュークリームみたいなものが目に付いた。同じように覗き込むとすかさず若い女性が「後3つで売り切れです。父の日にいかがですか?」と声を掛けてきた。デパ地下の店員さんは皆、質が良くて心地よい。ただ疑問は残った。後3つを何故僕があわてて買わなければならないのか。「今日は父の日なの?だったら僕は今日もらう立場だよね。でも、ひとり父の日だから丁度いいか!」昨年、ひとりクリスマスという言葉を覚えたから、今日はとっさにアレンジしてみた。その店員さんは、その言葉を聞いてもう勧めてこなかった。自虐ネタだったのだが彼女にはそうは聞こえなかったのかもしれない。自虐を客観が追いかけてきて、追いつかれそうな今日この頃だ。