長生き病

 家族や他の見舞客を見ていて、どうしてもその最後の言葉を僕は口に出すことが出来ない。ほとんどの人が「頑張って」と結んで帰っていくのだ。モルフィネでしか痛みを軽減できずに歩くことも出来ずに、点滴で唯一栄養をとっているような人が、何を頑張れるのだろう。薬が切れたら痛みが襲ってきて、慌ててナースコールを押して薬を追加されるような状態で、何を頑張ればいいのだろう。オシッコは管でとってもらい、便は食べないから出ない。何をこれ以上頑張ればいいのだろう。痛みに耐えろって事なのだろうか。頑張れば寿命が延びて楽しい日々が待ち受けているのだろうか。 誰も見舞客がいない間、長生きも大変だなあと話しかけると、ほんとよって答えた。誰も聞かないし、避けているようだから、家に帰りたい?と尋ねたら、帰りたいと言った。そうだろうと思う。聞こえるのはたまに廊下を歩く人の足音だけ。コンクリートの冷たい音がする。ただ天井を見上げ、何を待てばいいのだろう。早く迎えが来て楽になることを待ち望めとでも言うのだろうか。遠慮がちにのぞき込まれどんな言葉を返せばいいのだろう。人は希望がなくても生きられるのだろうか。生きているだけで生きられるのだろうか。症状が落ち着いたら、帰るかどうか考えてみると言った。麻薬でしか消すことが出来ない痛みが落ち着くのだろうか。例え愛情溢れる家族がいても、病気とは孤独なものだと思った。  長生き病なんだよと言うと、そうじゃなって答えた。長生きこそが最大の病因なのだ。長生きだからこそ、こんなに患ってしまうのだ。現実をニヒルに受け入れる勇気が欲しい。「又すぐ来るからね、さようなら」僕の「すぐ」を許してくれるのだろうか。僕のすぐは何百倍も長い時間なのではないだろうか。誰にも必ずやってくるものだから、人は最終的には謙遜になれるのだろうか。これ以上謙遜にならなくても、十分正しく生きてきた人なのに。  師走の港に涙雨が降る。